障がいや病気を理由に、日常生活の中で「使いづらさ」を感じたことはありませんか?例えば、車いす利用者の方で「外出先に、車いす利用を想定されていない道があり困った」ことや、筋力が低下する病気の方で「ゲームをプレイする時、コントローラーがうまく使えず楽しめなかった」など、きっと皆さんさまざまな経験をお持ちかと思います。
今回は、こういった「使いづらさ」を感じる当事者、つまり、デザインから排除されているマイノリティの当事者に注目した手法「インクルーシブデザイン」をご紹介します。皆さんが普段感じている「使いづらさ」が、当事者の枠を超えて、多くの方々に役立つデザインにつながるかもしれません。
お話を伺ったのは、東京大学先端科学技術研究センター准教授の並木重宏先生。並木先生ご自身も、難病の当事者です。もともと生物学の研究をされていた並木先生は、難病を発症したことで突然歩けなくなり、車いす生活を余儀なくされました。そこから、インクルーシブデザインの研究に関わられるようになった経緯やご経験、先生が今関わられているインクルーシブデザインを用いた理系学生への支援のお話などを伺いました。
デザインから排除されているユーザーに注目「インクルーシブデザイン」
インクルーシブデザインとは、何ですか?
インクルーシブデザインは、障がいや病気を持つ方など、デザインから排除されているユーザーに注目する手法のことです。もう少し具体的に説明すると、車いす利用者、視覚・聴覚障がいを持つ方、高齢者、ベビーカー利用のお母さんなど、さまざまなニーズを抱える方々が企画・開発の初期段階から参加し、一緒に使いやすいデザインを考えていくことがインクルーシブデザインの特徴です。出来上がったものは、デザインから排除されているユーザーだけでなく、より多くの立場の方々に役立つデザインにつながる可能性を持ちます。
インクルーシブデザインは、「ユニバーサルデザイン」や「バリアフリー」とはどのような関係性がありますか?
諸説ありますが、ユニバーサルデザインもインクルーシブデザインもバリアフリーを目的としています。そのため、「さまざまな立場の人にとって使いやすいものを目指す」という意味では、共通したものです。
その中でも、ユニバーサルデザインは特定のユーザーに注目するというより、最初から誰もが使えることを目指しデザインを進めます。一方、インクルーシブデザインでは、特定のユーザーに注目することから始まります。そして、その特定のユーザーにデザインプロセスにも実際に参加してもらうことで、誰もが使えるものづくりを進めていきます。
当事者の視点がものづくりへ。まずは、日常の気付きを発信してみよう
インクルーシブデザインが実際に用いられた事例について、教えてください。
さまざまな事例があり、実は、皆さんが普段使っているものにもインクルーシブデザインが取り入れられた例があるんですよ。例えば、先が曲がるストローは、お子さんや寝たきりの患者さんのニーズから生まれたものと言われていますし、トイレのウォシュレットは、患者さん向けに医療用として開発されたことがきっかけだったと言われています。
また、最近では、企業による製品開発でもインクルーシブデザインを取り入れる動きが進んでいます。例えば、マイクロソフト社では、開発段階から特定のユーザーに入ってもらうことで、さまざまな立場の方々が使いやすい製品づくりを行うことを発表しています。
その他、科学研究の分野でもインクルーシブデザインの事例があります。例えば、中途で視覚障がいを持った天文学者のエピソードです。この天文学者は、宇宙からの信号を調べる仕事をしていた方なのですが、目が見えなくなり、仕事を続けることが難しくなったんですね。そこで、それまでは目で確認していた信号の確認を、音で確認できるような仕組みを開発しました。最初は、視覚障がいを持つ人のために開発された仕組みでしたが、他の方々も「使いやすい」と感じたことで、視覚障がいを持たない方々も使うようになったそうです。こんな風に、最初は、一人の障がいを持つ方に配慮するためにつくられたものが、障がいの有無に関わらず、多くの方々に広く役立つ可能性があるんです。
2021年度東京大学グローバルサイエンスキャンパス(UTokyoGSC)の講義動画でも、さまざまな事例が紹介されている。
インクルーシブデザインが普及することで、病気や障がいを持つ当事者にはどのような影響がありますか?
一番は、「ご自身が感じている困りごと自体に、価値が見出される可能性があること」ではないでしょうか。障がいや病気のある人は、健康な人では気付くことができない視点で、物事に気付くことができます。そういった視点が、インクルーシブデザインを進めていく上で大切になるんですね。ですから、日常生活の中で覚えた違和感などは、我慢せずに、ぜひ少しずつ発信していってほしいなと思います。
今は、誰もがSNSなどを通じて情報発信できる時代です。困りごとだけでなく、気付きを発信することで、誰かの共感を得る場合もあるのではないでしょうか。私自身、足が動かなくなったばかりの頃は、SNSで当事者の声に触れて励まされた経験があります。難病を発症した当時は、身近に車いす利用者がいなかったため、わからないことが多く、不安だったことを覚えています。だけど、SNSを通じて、多くの車いす利用者の方々とつながることができ、さまざまなことを教えてもらいました。ですから、まずは、日常生活での気付きなどで大丈夫ですので、皆さんが感じていることを、少しずつ発信してもらえたらうれしいですね。
難病により、生物学者の道をあきらめた経験
並木先生がインクルーシブデザインの研究に関わるようになったきっかけについて、教えてください。
ある日突然、難病を発症し、歩けなくなったことが大きなきっかけです。当時、私は生物学者として「虫の飛行」の研究を行っており、アメリカにいました。
しかし、難病になったことで退職せざるを得ない状態になり、帰国し、日本で入院生活を送ることになりました。そんな時に声かけてくれたのが、東京大学先端科学技術研究センターの今の上司です。障がいを持った私だからこそ、障がいのある方々の科学への参加支援をテーマに研究できるのではないかと声をかけてくれました。
私自身の、障がいをきっかけに自身の研究を続けられなくなった経験自体が、「研究につながる」「仕事になる」と教えてもらいました。そして、後に「インクルーシブデザイン」という考え方を知ることになり、今の研究活動につながっています。
生物学者としての道をあきらめなくてはならなかったことに対して、先生はどのように気持ちの整理をされたのでしょうか?
正直に言うと、気持ちの整理にはとても時間がかかりました。障がいを持つ前の自分は、一度死んでしまったような感覚でしたね。でも、新しく2回目の人生を始めようという気持ちになれたのは、インクルーシブデザインなど、今の自分だからできる研究に出会えたからです。
病気によって、以前と同じ研究はできなくなってしまいました。でも、今の研究は、そういった自分の経験が「誰かの役に立てるかもしれない」ものなので、とてもやりがいを持って行っています。
難病を発症後も、研究を続けることに不安はありませんでしたか?
不安はありました。ただ、障がいを持つ研究者として実際に活躍されている方々の存在が、励みになりました。東京大学先端科学技術研究センターは、バリアフリーの分野でとても有名な研究施設です。例えば、熊谷晋一郎先生など、車いす利用をされている研究者の方々もいらっしゃいます。そういった方々が、車いすを利用しながら研究を進める姿を目の当たりにし、純粋に「かっこいいな」と感じました。
だから、自分も研究者として、自分と同じように障がいを持つ方々の支援を仕事にしようと決意できました。
自身の体験もいかしバリアフリー実験室の整備、理系学生への支援を
難病を発症後、研究活動を続けるうえで先生が困ったのはどういったことでしたか?
一番大きかったことは、歩けなくなり、車いすを利用するようになったことです。車いす利用により困ったことは、大きく「通れない」「届かない」「運べない」の3つです。
具体的には、狭い道や物が置いてあるなどして通りづらい場所がある「通れない」。流しの蛇口や収納の奥に手が届かないことで困る「届かない」。最後の「運べない」は本当に深刻で、本を1冊ずつしか運べない、液体の入ったビーカーを運べないなど、研究を進める上で困難な状況だと思いました。こういった状況が生じる理由は、そもそも、車いす利用者が研究することを想定されていないからだと感じています。
そのため、まずはこの3つの課題を解消するため、自分の研究室内で実験室のバリアフリー化を整備し、理系の学生さん向けの支援を進めています。モデルルームのような形で公開しており、大学の学生さん、支援学校の生徒さんなども自由に来て頂いて、ここで実際に実験もして頂けるように準備を進めています。
実験室のバリアフリー化とは、どういった内容がありますか?
例えば、実験室用にバリアフリー化した流し台をつくりました。この流し台は、車いす利用者の方々にご協力頂いて、インクルーシブデザインの手法を用いたものです。
まず、車いす利用者の場合、一般的な流し台を使用する時に、蛇口部分に手が届かない状態になります。
そこで、何度も試作を繰り返しながら、流し台の下に空間をつくるデザインを取り入れました。これは、車いすに乗っている場合であっても、足の部分が流し台の下に入ることで、蛇口に手が届くようにするためです。
実際に、車いす利用者の方々に使って頂き、さまざまな気付きを取り入れながら出来上がったのがバリアフリー化した流し台です。蛇口に手が届くようにしただけでなく、ワンタッチで水が出る仕組みを導入。さらに、車いす利用者がより使いやすい位置に移動できるよう、流し台が上下に動くような設計も取り入れました。
また、車いす利用者と一緒に支援者がいる場合を想定し、横幅を広くとるデザインにしました。その他、流し台を手でつかみやすいように、枠の形は角がないように丸くしたものを取り入れました。こうすることで、手で流し台の枠をつかみ、身体を支えながら利用することができます。例えば、腕が短いなどさまざまな体形の方であっても、流し台を利用できるようにしました。こういった部分も、インクルーシブデザインの手法を取り入れた成果だと思います。
今回ご紹介したバリアフリー化の流し台以外にも、研究室ではさまざまな取り組みを行っています。車いす利用者に限らず、さまざまな方々に研究室に来て頂き、当事者ならではの気付きを自由に教えてもらえたら、うれしいですね。
実験室のバリアフリー化で、今後どういった取り組みを考えられていますか?
将来的には、VRを利用した実験の体験も考えています。現在、VRを利用して授業を受けたり、実験をしたりといった取り組みが、海外の大学で実際に行われています。VRとリアルでの体験、それぞれを用いた学びの形が、今後、学びの場で取り入れられていくかもしれません。
その他では、ロボットを通じて実験する取り組みも研究が進められています。人間が実験計画などのプログラムをロボットにインプットし、ロボットが人間の代わりに手を動かして実験するイメージです。将来、障がいや病気などを理由に手を動かせない方であっても思い通りに実験ができるようになり、研究者として活躍できる時代がやってくれるかもしれませんね。
当事者の発信に何度も勇気をもらってきたから。これからも前へ進む
遺伝性疾患プラスの読者にメッセージをお願いいたします。
私は、難病を発症したことで、生物学者としての道をあきらめることになりました。退職し、働いていなかった期間は、「自分は、社会のどこにも所属していない」と感じられ、そのことがさらにプレッシャーに感じたことを覚えています。
また、難病を発症した当初は、自分の身体の状態が予測できないことに対して、不安を覚えました。歩けなくなったことも大変でしたが、自分の場合は、病気によって症状がどんどん進行していく中で「この先、身体がどのような状態になるか」が予測できない状態だったんです。そのため、入院中は「これから、どのような仕事をできるか」を、じっくり考えることもできませんでした。当時の私は、ひどく落ち込みましたし、先の見えない真っ暗なトンネルを歩いているようでした。
でも、この経験があったからこそ、世の中には助けてくれる人や応援してくれる人がいると知りました。そして、今では、自分の経験をいかして、障がいを持つお子さんや学生さんを支援することが研究テーマとなり、新しい仕事になりました。難病を発症する前の私がやりたかったことは、結果的にあきらめる形になりましたが、それでも、今の研究を一生懸命に続けてきて本当に良かったと感じています。
一方で、一生懸命に取り組んだからといって、必ずしも全てがうまくいく保障はありません。ただ、どんな試練があってもあきらめず、一生懸命に何かを続けることだけでも価値のあることなのではないかなと思うのです。
もしかすると、一生懸命に取り組む姿が、誰かの励みにつながるかもしれません。私も、当事者のSNSやYouTubeなどの発信に触れ、何度も勇気をもらってきました。難病を発症して歩けなくなった直後、少しずつ前を向くことができたのは、同じ当事者の方の発信に触れられたことも一つの要因だったと考えます。だから、私はこれからも今の研究に一生懸命に取り組み、前に進んでいこうと思います。
実は、私たちの日常生活にも関わりの深いインクルーシブデザイン。当事者の気付きによってつくられたものは、私たちの気付かないところでも多く存在することがわかりました。特に、並木先生が手掛けられている実験室のバリアフリー化は、今後、障がいや病気を持つ学生さんたちの学びの機会を増やす、大切な取り組みになるのではないかと感じています。
また、ご自身も、難病の当事者であり、車いす利用者の並木先生。「障がいを持つ前の自分は、一度死んでしまったような感覚」と話してくださったように、さまざまな葛藤がある中でインクルーシブデザインの研究に携わるようになりました。未来を生きる学生さんたちが、障がいや病気を理由に研究の道をあきらめなくても良いように、これからも並木先生の研究は続いていきます。(遺伝性疾患プラス編集部)