小坂仁先生より、読者の皆さんへメッセージ

遺伝性疾患プラス編集部

「日本における遺伝子治療2023」Topに戻る

自治医科大学小児科の小坂と申します。私は昨年、担当の看護師さんと、それから患者さんのお母さんと、こういう本を出しました。これは何の病気の本かというと、脊髄性筋萎縮症の女の子と(亡くなられて10年ぐらい経ちます)いろいろ難しい問題と向き合った、家族と看護師と医療現場で答えの出ないような問題と向き合った、その記録を残したくて、昨年出すことができた本です。当時、脊髄性筋萎縮症(SMA)のような、重症な病気の治療薬が出てくるということは、想像もできませんでした。どんどん呼吸が衰えて、人工呼吸器に頼らざるを得ないような状況になるけれど、知的には保たれているというような病気が、今日のように遺伝子治療によって歩いたり、職業に就いたり出来るようになるとはなかなか想像できない時代でした。

非常にびっくりするというか、希望が持てることは、10年とか15年とか、そういった単位で(SMAの)遺伝子治療が開発されたというところです。我々は、どちらかというと治療を考えるときに、病態生理(ある遺伝子の異常があったときに、どういう変化が細胞内に起きて、どういうことが起きて、どのようにして神経の細胞が消失していくのか)を徹底的に追及して、そこから治療を考えるというようなスタイルを取っていました。しかし遺伝子治療はそういう発想ではなく、「どこに遺伝子を届けるのか」「どのように届けるのか」「どういった細胞に遺伝子を発現させるのか」です。ある意味、途中の病態生理がわかっていなくても、きちんと必要な量の遺伝子を必要な場所に届けることで、治療法が開発できる可能性があるのです。ですので、原因遺伝子がわかって、病気がわかれば、今は治療がない難病の方も、ひょっとしたら世界のどこかで、その病気を研究されている方がいて、脊髄性筋萎縮症のように治療薬が5年後、10年後に出てくる可能性はあるというふうに思います。

ですので、やはり、声を上げて、患者さん同士がつながって、核になってくれるような医療者の方と連帯していく、ということがとても大事になってくると思います。ぜひ、希望を失わずに、そういった活動をしていただければと思っております。以上です。

小坂 仁 先生

自治医科大学小児科学教授、自治医科大学とちぎ子ども医療センター長。博士(医学)。1987年に東北大学医学部を卒業後、カリフォルニア大学サンディエゴ校博士研究員、神奈川県立こども医療センター神経内科部長などを経て、2013年より現職。日本小児神経学会理事、日本小児神経学会関東地方会運営委員長、日本ミトコンドリア学会理事、日本小児科学会代議員、日本てんかん学会評議員、国際協力遺伝病遺伝子治療フォーラム評議員、神経代謝病研究会幹事、Brain and Development編集主幹。