遺伝性疾患は数千種類あり、その病態や発症時期、重症度は実にさまざまです。根本的な治療法がまだ見つかっていない疾患がほとんどである中で、幼いうちや若いうちから命に関わる疾患も多くあります。遺伝性疾患プラスの読者には、遺伝性疾患でお子さんやお孫さんを亡くされる方もおられ、編集部ではそうした方々からやりどころのないお気持ちの声をお伺いすることもあります。そうした中で編集部は、がんなどで親御さんやパートナーを亡くされた方向けの専門家による情報発信はインターネットで多く見られる一方で、お子さんを亡くされた方向けの情報発信が非常に少ないことに気づきました。そこで今回、小児緩和ケアやグリーフサポートに長年携わってこられた、下関市立大学 看護学部設置準備室(2024年10月現在)教授で、NPO法人福岡子どもホスピスプロジェクトの代表理事も務めておられる濵田裕子先生に詳しくお話をうかがいました。なお、今回、読者から寄せられた具体的なお気持ちに関して、一般的な質問の回答に含まれる形で、濵田先生のお考えやメッセージをいただきました。
まず、日本における「子どもの死」の現状について教えてください
今から70年以上前ですが、第二次世界大戦が終わった1950年、日本では年間27万4,111人のお子さん(0歳~19歳)が亡くなりました。その後、医療が飛躍的に進むにつれて亡くなるお子さんの人数も大きく減少していき、2022年の国の調査によると、亡くなったお子さんは3,850人でした。その内訳は下表の通りです。
亡くなったお子さん全体の48%が4歳までに亡くなっていますが、その死因の1位は先天奇形や染色体異常で、ここには遺伝性疾患も一部、含まれています。かつてはおなかの中で亡くなっていた赤ちゃんも、医療の進歩により、状況によっては生まれてくることができるようになったことも、4歳までに亡くなるお子さんの割合が多いことと関係していると考えています。5歳以上はいわゆる小児がんが死因の上位になります。
このように、少子化を考慮したうえでも、亡くなられるお子さんの人数は大変減っているため、今の日本では「子どもの死」自体がまれな出来事になっています。さらに、子どもは未来を象徴する存在であるため、重篤な疾患を抱えるお子さんを持つ親御さんは特に「子どもの死について考えてはいけない、希望を持っていたい」と当然、思います。また医療者も救命を第一に考える傾向にあります。そのような状況の中で、お子さんを亡くした親御さんが、その悲しみに向き合うことは容易ではありません。今回、読者の方々からいただいたお声にも「なぜこのタイミングで子どもがこの病気になったのか」「後悔の念が消えない」といった内容がありましたが、こうした気持ちと向き合いたくても、社会に子どもの死が少ないために、同じ境遇の方とお話しをする機会すら見つけることが困難です。周囲の人も、その話題をタブー視し、できるだけ触れないようにします。亡くなったお子さんにごきょうだいがおられるなどすると、生活を回すために最低限の家事をしなくてはなりません。きょうだい児の幼稚園への送迎では周りのお母さんたちと当たり障りのない話はできても帰ると泣いている、といった方もおられます。そうした中で、周囲の方から「もう大丈夫そうね、乗り越えられたのね」といった声かけに、深く傷ついたという方もおられます。特に先天性疾患等で小さいお子さんの場合は、お家に帰ることもできず、病院で死を迎えることもあり、その子の存在を知る人が家族と医療者だけという場合もあります。しかし、治療の対象であるお子さんがいなくなれば、医療者が家族とつながり続けることはほとんどありません。お子さんが亡くなってから始まる家族の悲しみは、周囲からも理解されず、親御さんは社会から孤立した気持ちになっていく傾向にあります。
子どもとの別れという事実に直面し、湧き上がるさまざまな感情について教えてください
子どもを亡くすというのは、唯一無二の体験で、他人と比較できるものではありません。死によって命は終わりますが、その関係が終わるわけではなく、家族など亡くなったお子さんとつながりがあった方々は「グリーフ」(grief)とともに生きていくことになります。グリーフとは、対象を喪失(loss)したことに対する精神的・行動的・社会的・身体的・スピリチュアルな反応、および、その経験のプロセスのことで、語源はラテン語のgravis(重い、の意)です。喪失は、愛する人の死だけを指すのではなく、ペットの死や失業、乳がんで乳房を失うことなどもそれに相当します。欧米では、死別によるグリーフは、ビリーブメント(bereavement)という風に他のグリーフと区別して呼ばれています。
お子さんとの死別という事実に直面して湧き上がる感情や反応は、悲しみだけではありません。上図のように、睡眠障害や食欲減退、疲労感といった身体症状も現れるほか、例えば医療者に対して「もっと早くどうにかしてもらえなかったのか」といったような怒りを感じることもあります。一方で、「なぜこんな風に産んでしまったのか」といった罪悪感・自責感を持つ場合もあります。先ほど言ったような孤独感や、無気力などもあります。また、例えば、普通にお買い物に行ったのに、亡くなったお子さんが大好きだった苺をスーパーで見かけた途端に、平静を保てずその場で泣き崩れるといったような「侵入的想起」などもあります。季節や行事とともにありありとそのお子さんを思い出し、感情があふれ、抑えきれなくなることがあります。また、記念日反応とも言いますが、日本は四季があるため桜や紅葉、入学式やクリスマスなどお子さんとの思い出のある日は特に、何年も毎年その時期に辛い感情がよみがえることがあります。読者の方から頂いたお声にも「普段は普通に生活してますがやっぱりふと思うことは娘のことです」というものがありましたが、何かのきっかけで思い出されているのではないかと想像します。それから、お子さんの死を受けとめられず、きっとどこかにいるような気がするという探索行動をされる方もいます。これらは比較的、お子さんを亡くした直後の反応ですが、これもグリーフ反応のひとつです。
人は、時間が経つとともに喪失の事実を認め、さまざまな感情を開放し、心理的に適応していくと言われていますが、この過程をグリーフワークと言います。具体的には、死別を単に受け身的なものととらえず、「事実を受け止める」「グリーフに向き合う」「亡くなったお子さんのいない環境に適応する」「亡くなったお子さんを情緒的に再配置して生活を続ける」という4つの課題に積極的に向き合っていく過程とWorden(2003)は述べています。グリーフワークは死別後数か月以内に始まるとされています。しかし数か月以内に始まらない遅延されたグリーフや、強く長く慢性的に続くグリーフもあり、これを「複雑性グリーフ」と言います。複雑性グリーフは、通常のグリーフとは区別され、心療内科や精神科による薬物療法や精神療法といった治療の対象になります。複雑性グリーフが助長される因子として「若い人の死」、つまりお子さんの死も挙げられています。このほか、突然死、長い経過をたどった病死、死を防ぐことができたという思い、などが助長因子としてあります。
お子さんが亡くなった後の生活に適応していく過程について、もう少し詳しく教えてください
お子さんを亡くした事実を受け止め、グリーフに向き合い、故人がいなくなった環境に適応し、故人を情緒的に再配置して生活を続けていく、その過程を説明する考え方として、この図にある「死別への対処の二重プロセスモデル」があります。このモデルは、喪失に向き合う「喪失志向」と日常生活に適応する「回復志向」という2つの間を、行ったり来たりしながら、大切な人のいない生活に適応していくという考え方です。喪失志向では、亡くなったお子さんのことを思い出したり、悲しみや苦しみを感じたりします。一方、回復志向では、新しい役割や関係を築いたり、日常生活の課題に取り組んだりします。重要なのは、この2つの志向を「行き来しながら」少しずつ適応していくことです。時には悲しみにどっぷり浸り、時には前を向いて生活する(意識的に気をそらすために何か新しいことを始めてみるなど)といった、自然な揺れ動きが、グリーフへの適応に向けたプロセスだとされています。このモデルは、悲しみを抑えつつ前に進むだけでなく、喪失と向き合うことも大切だと教えてくれます。その期間は人によってさまざまで、それぞれの人のペースで行きつ戻りつしながら、ご自分の新しい役割を発見し、お子さんとの新たな関係性を見つけていくというものです。
実際、私もお子さんを亡くした直後の方々から、「おいしいものを食べても自分だけおいしいと思うのは、あの子に悪いと思ってしまう」というお話を伺ったことがあります。また、今まで走ったことなどないお母さんが「あの子も苦しんだのだから私も苦しみを味わう」と、急にマラソンを始めるといったケースもありました。しかし、時薬(ときぐすり)という言葉もあるように、二重プロセスを辿りながら、徐々にご自身の中に元々あったいろいろな感情が心の中に存在していることに気がついてきます。私が知っている方の中には、お子さんを亡くして2年目くらいに、「これまで近所に咲いてるお花になど目が向かなかったけど、お花が奇麗」という感情が出てきたとおっしゃったお母さんもおられました。
「湧き上がるさまざまな感情とどう向き合っていけばよいかわからない」という読者からのお声もありますが…
そうですね、「なぜこの若い年齢でお空に行かなくてはならなかったのか」「なぜ子どもの体の異変にもっと早く気づけなかったのか」「上の子を亡くし、下の子も少しでも体調が変だと心配でたまらない」など、いろいろなお声が寄せられていますが、悲しみは同様でも、湧き上がる感情は個々で異なります。私は、代表理事を務めているNPO法人福岡子どもホスピスプロジェクトの活動や自身の研究で、多くの親御さんたちのお声を伺いますが、それぞれのお気持ちは、唯一無二です。しかし、お子さんが亡くなった原因によらず、ほとんどの方が「なんで自分の子が」という思いを持たれています。こうした感情と向き合っていくのは本当に難しいことだと思いますし、簡単に乗り越えたり受け入れたりできるものではありません。ただ、福岡子どもホスピスプロジェクト主催の「グリーフの会」という集いで、お子さんを亡くした親御さん同士で交流していただくことがありますが、その中で「私だけじゃないんだと思えることで少し救われた」という声が聞かれます。参加される方々がお子さんを亡くした原因は、遺伝性疾患だけではなく、小児がんや先天性心疾患、交通事故など、さまざまです。経験は一人ひとり異なっても、「お子さんを亡くした」という共通の体験をした方と交流し、他の人のことを知ることが、感情と向き合うための一つのきっかけになるかも知れないと思っています。実際、「○○さんのお子さんはそんな亡くなり方だったのですね」「私も、『まだ家に閉じこもっているの?』と言われつらい思いをしました」「更年期とも重なりつらいですよね」など、お互いに共通のことや他の方に聞いてみたいことなどを、お話しされます。
それから、私が監修し、九州大学出版会から発行した「空にかかるはしご」という本があります。いろいろな病気でお子さんを亡くしたご家族が協力して下さり、1部はお子さんの思い出の物にまつわるエピソードを写真付きで掲載し、2部は親御さんやごきょうだい、祖母に当たる方などから、亡くなったお子さんに向けて書いたお手紙で構成されています。ご家族のニーズを受け、24組のご家族と一緒に作った本ですので、よかったら読んでみていただけると、想いを重ねられるかもしれません。
病院や公共機関でつらい気持ちなどを相談できる場所はありますか?
「なかなか相談できる場が無くずっと苦しい」という、読者からのお声もいただいていますが、亡くなったお子さんの病気に関わる後悔や疑問に関しては、医療機関に再度連絡を取り、お話をしたり聞いてみたりすることができると良いと思います。主治医だった先生に「あの時は気が動転していましたが、あの子の病気のことについてもう少し知りたいことがあります」など、お伝えしてみると、先生も同じように気にしておられ、お時間を取っていただいて話し合うことができた、といったケースもあります。主治医の他、病院の地域連携室や、地域の保健所等におられる保健師さんなども、相談先になり得ます。遠慮せずこうした方々に相談していくことが、ご自身のつらいお気持ちや、納得いかないお気持ちと向き合っていく一助となっていくのではないかと考えています。また、もしもつらい気持ちにより日常生活に支障が出ている場合には、心療内科の受診を検討し、専門的なサポートを受けられると良いと思います。先ほどお話した当法人でも、“空にかかるはしご”グリーフの会という集いを年に数回ではありますが、開催しています(オンラインで開催する時は、遠方からのご参加もあります)ので、日時が合えばどうぞご参加下さい。
お子さんを亡くしたことでご夫婦の関係に変化が生じたと感じた場合、何か対応できることはあるのでしょうか?
ご夫婦の関係はそれ以前の関係もあり、ご夫婦によって異なります。お子さんの闘病を通して絆が強まる場合もあれば、その逆の場合もあります。また、お子さんを亡くしたことにより、お母さんもお父さんも悲しいのは同様ですが、特に日本の文化的背景もあって、悲しみの表現方法は男女で異なります。特にお父さんは働いておられる方が多いので、悲しみを表出する機会が限られ、誰もいないところで涙したり、またお母さんやきょうだいを心配されたりしている方もいらっしゃいます。お子さんを亡くした後、次のお子さんを望む気持ちにも温度差があり、お父さんとお母さんとで意見や感情が食い違うこともあります。お子さんを亡くした悲しみの中で、相手のことまで考えられないかもしれませんし、普段は許せたことが許せなく思えることもあるかもしれませんが、夫婦であっても、悲しみの表現は異なることを念頭に、お子さんの父親と母親であることは変わりませんので、お互いの感情や考えを尊重し、共に歩む姿勢を持ち続けられると良いと思います。
深い悲しみの中にいるときに、これは気を付けた方がよい、ということがあれば教えてください
SNSや体験記ブログの閲覧は、比較的気を付けた方が良いことの一つかなと思います。他の方の発信を見て、「自分だけではない」と思えたとおっしゃる方もいれば、ご自身の感情を重ねて、人のグリーフまで背負ってしまい、さらに落ち込まれる方もいます。特に、お子さんを見送ったご家族は、ご自身では気づかなくても心身ともに、とても疲れた状態にあります。大切なお子さんの死を経験したご家族は、辛いことですが、0からのスタートではなく、マイナスからのスタートになると考えます。0からプラスになると、グリーフ反応で覆われていた日々に少し日が差すように、以前のような、きれいだとか、おいしい等の感覚が戻ってくると思います。自分の身体と心の声を聞くように努め、自分を大切にして頂ければと思います。あの子があんなに頑張ったのだからと、自分も“頑張らなきゃ”と、何かしようとされて、身体症状に出る方もいます。繰り返しになりますが、グリーフの期間は人それぞれです。悲しみを悲しみ抜くという言葉があります。状況が許せば、お子さんの事を想い、日中は泣いて暮らし、最低限の家事だけはする、そんな毎日でも良いと思います。ごきょうだいの世話に追われ、そんな暇はないという方は、どこかで自分なりの時間や、お子さんの事を想う時間を作ることができれば良いと思います。中には、育児や仕事、親の介護も重なり、それどころではなく、心に蓋をして生活している方もいるかもしれません。それもその状況の中での適応ではありますが、その蓋をたまには開けることができる人や場所、術を見つけられると良いと思います。
最後に先生から遺伝性疾患プラスの読者に一言お願いします
私たちは研究の一環として、「子どもを亡くした家族のグリーフサポートプロジェクト」のウェブサイトを作成しました。ご家族に向けて掲載している「グリーフを抱えた時に役立つ方法」には、シンプルな日常生活の維持、自分の健康への注目、悲しむ時間の確保など、これまでお話ししてきたような内容が含まれています。表現の難しさを考慮し、慎重に言葉を選び、ご家族の方々にご意見をいただきながら作成しました。ウェブサイトには、親御さん向けの情報、祖父母の方向けの情報(お孫さんを亡くした悲しみと実のお子さんの悲しみへの対応方法)、きょうだい児に関する情報、そして「よくある質問」のセクションが含まれています。このサイトを通じて多くの方のお役に立てればと願っています。
お子さんを亡くされるという体験は、人それぞれ異なる体験ですので、他人と比較する必要はありません。周囲の理解やサポートは必要ですが、急いで社会に出ようとして傷つくこともあるため、ご自身のペースで過ごすことが大切です。ご自分らしく、一歩ずつ、毎日を過ごしていただくのが良いと思います。
今の日本でお子さんを亡くされる方は大変少なく、また、お子さんを亡くされるという体験は唯一無二であるため、遺族の方は孤独を感じやすい状況であると濵田先生はご説明されました。また、グリーフという、単なる悲しみだけではなく、多様な感情や反応を含む複雑な経験は、喪失志向と回復志向を行ったり来たりしながら、二重プロセスモデルとされる過程を経て、受け入れ・向き合いながらも日常生活に適応していくとわかりました。
濵田先生が繰り返しおっしゃったように、お子さんを亡くす体験も、適応の過程も、人それぞれ異なります。また、先生がメッセージでおっしゃっていたように、「ご自分のペースで過ごすことが大切」である中で、「お子さんを亡くした」という部分で同じ経験をした方々との交流や、亡くなったお子さんへのメッセージが詰まった本「空にかかるはしご」は、心の支えになったり、孤独感を和らげたりする一助となる可能性もあります。今後も遺伝性疾患プラスでは、遺伝性疾患に関わるさまざまな側面について、専門家の知見を交えつつ情報を提供していきます。(遺伝性疾患プラス編集部)