病気・障害に関わる偏見「スティグマ」への対処法―“生きやすさ”を手に入れるヒントとは?

遺伝性疾患プラス編集部

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正しく理解されていないために生じる「偏見」。遺伝性疾患プラス編集部では、「珍しい病気なので、理解を得るのが難しい」「遺伝に対して誤った認識がある」など、さまざまな理由から「偏見が心配なので、自分の病気のことは明かしていない」と、取材の際などに伺う機会も少なくありません。こういった偏見に対して、私たちはどう向き合えば良いのでしょうか?

今回は、病気や障害を持つ「当事者」が、自身の困難を観察・表現・分析することで、よりよい生活を送れるようにする「当事者研究」をご専門とされている、東京大学先端科学技術研究センター准教授の熊谷晋一郎先生にお話を伺いました。偏見に関わる「スティグマ」という概念や、その対処法とは?また、生まれた時から脳性まひを持ち、車いす生活を送る当事者でもある熊谷先生が感じたスティグマとは?記事後半では、読者から寄せられたお悩みに対する熊谷先生からのアドバイスもご紹介します。

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東京大学先端科学技術研究センター准教授 熊谷晋一郎先生

スティグマの基本、当事者が知るべき対処法とは?

スティグマとは何ですか?

スティグマとは、直訳すると「烙印(らくいん)」という意味です。ただ、ここで言うスティグマは、文字通り体に刻まれた烙印という意味ではありません。唯一無二の心身と背景を持つ多様な人々を、大雑把にグループ分け(カテゴリ化)し、特定のグループに対してネガティブな認識や行動を向けることを指します。「偏見」や「差別」もスティグマの一部です。主に、「1.ラベリング」「2.ステレオタイプ」「3.偏見」「4.隔離」「5.差別」の5段階からなります。

1.ラベリング

人が持つそれぞれの個性にラベルを付けてカテゴリをつくることで、その人たちに同一のイメージを持つこと。例えば、「障害者」もラベリングされたカテゴリの一つ。

2.ステレオタイプ

ラベリングしたカテゴリの人たちに対して、しばしば誤った、十把一絡げのイメージを持つこと。例えば、「病気を持つ人は、正社員として働くのが難しい」など。

3.偏見

特定のカテゴリの人たちに対して、ネガティブな価値付けを行うこと。例えば、言葉にするのもはばかられるが、「障害者は、価値が低い」など。

4.隔離

特定のカテゴリの人たちを隔離すること。例えば、障害者を施設に入所させ、周囲と直接的に交流させないなど。

5.差別

「排除型」と「同化型」の2種類ある。いずれも、相手と自分の違いを無視した振る舞いが特徴。

(1)排除型:特定のカテゴリの人たちを排除する行動

(2)同化型:特定のカテゴリの人たちを、多数派に強制的にあわせようとする行動

スティグマの分類について、教えて頂けますか?

スティグマは、「1.公的スティグマ」「2.自己スティグマ」「3.構造的スティグマ」の3つに分類されています。ここでは「障害者」に対するスティグマを例にとって説明しますね。

分類名 内容
1.公的スティグマ

健常者が、障害者に対して向けるスティグマのこと。

(例)健常者が障害者に対して、差別的な発言をする

2.自己スティグマ

障害者自身が、自身に対して向けるスティグマのこと。

(例)自分で自分の障害を認められない、恥ずかしいと感じる、困っている時に「助けて」と言えない、同じ障害を持つ他者との交流を避けようとする、など
3.構造的スティグマ

「人」の中ではなく、「環境」の中にあるスティグマのこと。

(例)旧優生保護法などの法律、エレベーターのない建物、など

この3つのスティグマは、互いに影響しあい、複雑な関係にあります。公的スティグマがまん延することで自己スティグマが生じたり、自己スティグマから来る行動パターンが周囲に誤解を与え、公的スティグマが増えてしまったりします。鶏と卵のような自己スティグマと公的スティグマの関係を維持・増強しているものが構造的スティグマです。

スティグマへの対処方法について、教えてください。

公的スティグマ、自己スティグマ、構造的スティグマそれぞれに対して対処法が検討されています。世界中の研究者が、さまざまな対処法を開発し、その効果を検証している状況です。

その中でも、今回お伝えしたいのは「コンタクト仮説」です。この仮説は、接触こそがスティグマ低減にとって必要な条件だという仮説です。それぞれのカテゴリの違いを意識しながらも、カテゴリに回収できない唯一無二の個人同士として関わり合うことが、スティグマ低減には重要です。表面的な話だけでなく、一歩踏み込んで、相手がどのように人生を歩んできたのか、相手に割り当てられたカテゴリを負ってきた多くの人々は、集合的にどのような経験をしてきたかという、一人の人間の“人生の物語”と、集合的な歴史の両方に触れることが大切です。歴史を文脈としつつ、相手の物語を知ることで自分の物語との接点が見つかり、それが「共感」につながることもあります。

コンタクトを行う上で、気を付けることはありますか?

あくまでも、「対等な関係」でのコンタクトが大切です。その上で、同じ目的を持って一定期間以上にわたり協同することがスティグマを減らす上で重要だとされています。例えば職場であれば、「上司と部下」という関係は対等ではないので、「同僚」という対等な関係で互いを知り、同じ目的のもとで協同することが大切になります。

熊谷先生が今でも鮮明に思い出す、幼少期のスティグマ

熊谷先生がこれまで最もスティグマを感じられたエピソードについて、教えてください。

幼少期の頃の経験ですね。今でも、鮮明に思い出します。私が生まれた頃は、障害を持つ子どもに対し、スティグマの5つの段階でご説明した「同化」に近い差別が行われていました。例えば、リハビリなどを通じて「障害をなくす」「健常な体に近づける」ことが目指されていた時代だったんです。もし、健常者に近づけなかった場合には、隔離的な施設で一生を終えることもありました。

私自身も、幼少期はリハビリなどに多くの時間とエネルギーを使っていました。毎日、毎日、健常な体に近づくための訓練をする日々です。それは、子ども心に「痛い経験」として刻まれています。リハビリによって全身アザだらけになったり、大人が馬乗りになった状態でストレッチさせられたり…そういった怖い、痛い経験を通じて、今から言えばスティグマを感じていたようにも思います。こういった時代は、1970年代ぐらいまで続いていたと思います。

当時の熊谷先生は、スティグマへ対処されていましたか?

対処できませんでした。「私1人では、無力だった」という状態です。スティグマという現象に、1人の力で対処するのは限界があると感じています。集合的に対処する必要があります。

私の場合、幸いにも、80年代に入ると、世界中で障害者運動が盛んに行われるようになりました。それによって、障害の捉え方が180度変わったんです。具体的には、「障害は体の外側にあるもの」という考え方が切り開かれていきました。私自身、それまでは「障害=自身の体の特徴」と考えていたのですが、そうではないと考えるようになりました。つまり私の場合、自身の体の中にあるのは脳性まひという特徴で、それは障害ではなく、障害は例えばエレベーターを設置しない建物など、環境側にあるものだと考えるようになったのです。これによって、「私の体が、周りの環境に適応しなければいけない」という考えが間違いだったと気付かされました。

この新しい考え方を知って初めて、「自分の体はネガティブなものではない」と思えるようになったんです。こんな風に、先輩たちが障害についての考え方をガラリと変えてくれたおかげで、徐々にスティグマから解放されていきました。

【読者のお悩みに熊谷先生が回答①】パートナーへ遺伝性疾患のことを伝える際のコツは?

「パートナーへ病気のことを伝える際のコツはありますか?遺伝性疾患をどのように受け取られるか、不安です」というお悩みが寄せられています。

難しい問題ですね。正解はないと思いますので、あくまでも一つの選択肢として聞いて頂けたらと思います。この場合、「スティグマへの対処方法」でお話しした「コンタクト」が、もしかするといくらかのヒントになるかもしれません。

まず、「ソーシャルディスタンス=社会的距離」についてお話しますね。コロナ禍により、ソーシャルディスタンスという言葉が一般的になりました。実は、このソーシャルディスタンスという言葉は、以前よりスティグマ研究において重要な概念として用いられてきました。例えば、一定の距離を保って関わっていた間は良好な関係だった相手が、「結婚する」「賃貸物件を借りる」「同じ職場で仕事する」など、社会的に近い状況になるやいなや、差別してくるようになった、といったことが起きえます。このような状況を、ソーシャルディスタンスが広い、と表現するのです。

私自身も、上記のような差別を受けた経験があります。ですので、これは遺伝性疾患に関わらず、あらゆるスティグマに大なり小なり共通していると言えるでしょう。こういったソーシャルディスタンスの広さによって露わになるスティグマを減らす手段の一つが、コンタクトです。

コンタクトを、「相手の物語が記された本を、1冊全て読む」行為に例えてみましょう。本の「一部のページ」や「挿絵」ではなく、「全てのページ」を読まなければ、相手を知ることができません。近いものとして、「疑似体験プログラム」があります。1日車いす体験、1日妊婦さん体験などが、その例です。しかし、さまざまな研究によると、こういった一時的な体験プログラムには弊害も起きうることがわかっています。一人の人間を、数時間の疑似体験で簡単に理解できるものではないということですね。

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「相手の物語が記された本を、1冊全て読む」行為に例えて、コンタクトを解説。(写真はイメージ)

ですので、大切に思う相手がいるのであれば、病気のことを含め、これまで生きてきたご自身の人生について、長い長い自己紹介をしあう必要があるのかもしれません。それが本当の意味でのコンタクトであり、互いの理解につながると思います。きれいごとのように聞こえるかもしれませんが、私はそのように考えます。

コンタクトを経てお二人で「結婚する」と決めた場合、周りからさまざまな意見が出ることもあるでしょうか?

そうですね。お二人で十分に話し合って決めたとして、次に課題となるのは「お二人の周りの方々」ということも多くあるでしょう。ご家族や親戚の方々が、いろいろな意見を言う場合もあるかもしれません。

ですが、私はお二人の意志を尊重して欲しいと思いますね。もちろん、ご家族の意向を完全に無視することはできないかもしれません。ただ、大切なことは「一緒に歩んでいこう」と思い合っているお二人の気持ちなのではないでしょうか。お二人が決めたことであれば、私は応援したいですし、周囲も応援して欲しいと思います。

【読者のお悩みに熊谷先生が回答②】病気のこと、家族以外には“どこまで”伝えるべき?

続いて「偏見が怖いので、現在、家族以外には病気のことを隠しています。友だちや職場の人など、関わりがある方々へは、どこまで伝えたら良いのでしょうか?」というお悩みです。

こちらは、外見からは病気や障害が見えにくい方からのご相談ですね。外見からはわからないからこそ、コミュニケーションが難しいと感じられている方も多いのではないでしょうか。

これも、ソーシャルディスタンスの問題が関わってきます。人生では、一生を共にするパートナーや家族といった深い関係の人は一握りで、むしろ“そこまで深くない関係”のほうが圧倒的に多いでしょう。そこまで深くない関係の方々との付き合い方も、難しいですよね。これも、決して正解が一つではありません。

私は、「無理に話さなくていい」と思います。例えば、「この距離感の人であれば、自分のことを全部話す必要はないかな」と思う相手であれば、必ずしも病気のことを打ち明ける必要はないでしょう。一方で、仕事上の関係で「互いを理解し合わないと、仕事がうまくできないだろうな」と思う相手であれば、伝えたほうが良いかもしれません。その場合は、「コンタクト」ですね。先程申しあげたとおり、時間をかけて、互いのことを話しあえたら理想です。

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「「互いを理解し合わないと、仕事がうまくできないだろうな」と思う相手であれば、伝えたほうが良いかもしれません」と、熊谷先生。(写真はイメージ)
病気のことなど、自身のことを話す場合に気を付けることはありますか?

「調子が良くない」と感じる時は、無理をしないことが大切です。例えば、病気によって体調や気持ちの浮き沈みがある方の場合、調子がいい時にはできてしまえる分だけ、できない時に「自分の努力不足なのでは」と自身を追い詰めてしまうこともあるでしょう。そういう時のしんどさは、精神的な影響が大きいと思います。ですので、できることとできないことを伝えるだけでなく、できることとできないことの境界線が、揺れ動くということも説明するとよいでしょう。

【読者のお悩みに熊谷先生が回答③】外見に症状が現れる病気、初対面の人とのコミュニケーションのコツは?

最後は「外見に症状が現れる遺伝性疾患のため、初対面の時はどのように受け取られるかと不安になります。仕事などで、初対面の人とコミュニケーションを取る時のコツはありますか?」というお悩みです。

先ほどとは逆に、今度は、外見に症状が現れる方からのご相談ですね。私は、どちらかというと、この方と状況が近いかもしれないです。コツというか、ここでは私が普段から気を付けていることをご紹介します。

これは、私が小児科で診療を行っていた時の話です。私たち医師は、お子さんと親御さんが診察室に入ってこられた最初の数秒間で、「信頼できる」と思って頂くことが大切なんですね。その点、私は若いころ、「どう思われるだろう?」と、よく悩んでいました。私の場合、診察室の扉を開けた瞬間、お子さんと親御さんの目に入るのは、「車いすの医師」ですからね。

こんな風に相手にどう思われるか悩む時は、「私の仕事とは、何か?」を考えるように心がけていました。私の仕事、つまり医師としての診療の場では、集中して、誠実に目の前の患者さんと向き合うことが大切です。ですから、悩むよりも、しっかり相手の話を聞いたり、相手の状況を正確に把握したり、次にどういった対処を取るべきかをお伝えしたり、といったことが求められます。悩む時は、こうやって「医師として大切なこと」に立ち返るよう心掛けていました。

…そうは言っても、新人だった研修医時代は、私自身とても萎縮していたことを覚えています。研修医の頃の自分は、「患者さんに対して誠実でありたい」と思っていても、相手の期待に沿えるほどのパフォーマンスを発揮できているかわからないと、思っていましたね。当時は、すごくきつかったことを思い出します。

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「悩む時は、「医師として大切なこと」に立ち返るよう心掛けていた」と、熊谷先生。(写真はイメージ)
まだ知識や経験の浅い新人時代だからこそ、苦しむ場合もありますね。その場合は、どのように乗り越えたら良いでしょうか?

同僚や上司など、まわりの環境が大きく影響すると思います。私の場合は、自分の背中を押してくれた上司の存在に救われました。萎縮していた研修医時代の私に、「大丈夫。どんどんやってみよう」と声をかけてくれた上司のおかげで、さまざまな経験を積むことができました。

こんな風に、組織のリーダーのあり方も大きなポイントになるでしょう。誰しも、始めたばかりの仕事では「未熟な段階」があります。そして、誰でも最初は失敗をするものです。その失敗を糧にして、一人前になっていくわけですよね。スティグマを向けられている人の場合、「未熟な段階」を乗り越える時の苦労は人一倍多いでしょう。ですから、「未熟な段階」の人が失敗した時、その失敗を次につなげられるような環境を整えるのが、リーダーの大切な役割だと思います。

スティグマ解消へ向けて、「人生の物語を共有する」「平等に機会を分配する」

遺伝性疾患プラスの読者へメッセージをお願い致します。

スティグマを対処する方法はとてもシンプルで、互いを知り合う、つまり「コンタクト」に尽きます。互いを知り合うことは自分自身を知ることにもつながります。長い、長い自己紹介を重ねること、そして、人生の物語を共有することが大切です。

また、「対等な関係」でのコンタクトも、ポイントになるでしょう。この対等性を保障するには、さまざまな属性を持った人たちが差別されず、平等にチャンスを得ることが保障される社会を、みんなでつくっていかなくてはなりません。

「人生の物語を共有すること」と「平等に機会を保障すること」、この2つの車輪が両輪となって動くことで、スティグマの問題が解消されていくのだと思います。


今回、「スティグマ」についてわかりやすく教えてくださった熊谷先生。「この記事自体が、スティグマを生み出さないように」と、言葉一つひとつに注意を払いながら丁寧にお話してくださった姿が印象的でした。それは、ご自身もまた、さまざまなスティグマを経験されてきたからこそ、受け取り手に寄り添った対応なのだと感じました。

また、記事後半では、読者からのお悩みにも真摯に回答くださった熊谷先生。「正解は一つではない」としつつ、さまざまな考え方をお話ししてくださいました。これからも、遺伝性疾患を取り巻くスティグマは、皆さんの悩みの種になると思います。しかし、そんな時、今回の記事の内容を“生きやすさ”を手に入れるための一つのヒントにして頂くことができればと思っています。(遺伝性疾患プラス編集部)

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熊谷晋一郎先生

熊谷晋一郎先生

東京大学先端科学技術研究センター准教授。専門は小児科学、当事者研究。2001年3月に東京大学医学部医学科卒業。東京大学医学部附属病院小児科研修医、千葉西総合病院小児科勤務医、埼玉医科大学病院小児心臓科病棟助手を経て、2009年9月に東京大学大学院医学系研究科生体物理医学専攻博士課程単位取得退学。2009年11月に東京大学先端科学技術研究センター特任講師に就任。2014年7月に東京大学大学院工学系研究科先端学際工学専攻博士号(学術)取得。2015年4月から現職。