「ゲノム」「遺伝子」「DNA」など、遺伝に関する言葉をよく耳にする時代になりました。ゲノム医療が当たり前になる時代も、遅かれ早かれやってくるでしょう。とは言え、遺伝について一体何から学んだら良いのかもよくわかりません。そこで、ゲノム医学者である、東京医科歯科大学難治疾患研究所の村松正明教授に、知っておくべき遺伝の知識、遺伝子検査の現状、そして、今後の日本のゲノム医療の展望まで、ゲノムに関するさまざまなお話を伺いました。
ゲノム医学者である先生が、読者の皆さんに「これだけは知っていて欲しい」ゲノムや遺伝子の知識は何ですか?
ヒトの遺伝情報の全体像である「ゲノム」は30億文字から成るDNAの塩基配列で構成されています。この膨大な文字列を、個人ごとに簡単に調べられる時代になったということを知っていただきたいです。
これができるようになったおかげで、人間1人、30億文字のうちの300万か所くらいに、人によって異なる文字(バリアント:変異)が存在することがわかりました。変異というと機能的に問題があると捉えがちですが、実際には病気に影響のない変異や、むしろ病気になりにくい変異もあるので、最近ではバリアントと呼ぶことが多いです。研究のために大学や研究機関が体の情報をプールしている「バイオバンク」の取り組みや患者さんにご協力いただいたゲノム研究のおかげで、病気や体質などに関わっているバリアントが少しずつわかってきました。バリアントは、10人中2、3人が持っているのものから、何万人に1人しか持っていないものまで、いろいろな頻度のものがあるということもわかりました。これらを区別するために、集団全体のおよそ1%以上の頻度で見られるものを「コモンバリアント」、それより少ない頻度で見られるものは「レアバリアント」と呼びます。コモンバリアントには、皆さんもご存知のABO式血液型や、お酒を飲んで顔が赤くなる反応など「体質」に関連するもの、レアバリアントには、家族性のがんや希少遺伝性疾患など、「親から子へ遺伝する病気」に関連するものが含まれています。
コモンバリアントは、体質だけではなく、心筋梗塞、糖尿病、高血圧などの「日常的慢性疾患」に関わるものも含まれています。こうした病気は、以前は「遺伝は関係なく、生活習慣で発症する」と考えられていたのですが、ゲノムがよくわかるようになったおかげで、数十個、数百個、場合によってはもっと多くのコモンバリアントと、それに加えて環境因子が複雑に影響して発症するということがわかってきたのです。これらの日常的慢性疾患は、「コモンディジーズ(common disease)」や「多因子疾患」などと呼ばれることもあります。
他にもみなさんに把握していて欲しい知識は、とてもたくさんあり、絞り込むのはなかなか難しく、研究そのものが日進月歩ですので、まずはゲノムや遺伝子に興味を持って、それからゆっくり勉強していっていただければ良いと思います。
日常的慢性疾患で多くの遺伝子が関与する仕組みについて、もう少し詳しく教えてください
ある慢性疾患に関与する複数の遺伝子のうちの1つだけを取ってみたとき、その遺伝子でリスクが高くなる文字列を持っている人は、持っていない人に比べて、ほんの1.1倍くらいしか病気のなりやすさが高くならないんです。一般には、リスクが2倍程度以上の場合に「病気に関連がある、調べる意義がある」と考えられていたので、1.1倍程度のものは考慮されていませんでした。
ところが最近、たくさんの遺伝子について1つひとつ調べていくのではなく、まとめて解析する「ポリジェニックスコア」という方法が考案されました。これにより、それぞれの慢性疾患に関わるたくさんの遺伝子をまとめて計算し、個人リスクを出すことができるようになりました。その結果、例えば、1つひとつでは1.1倍しかリスクが高くならない遺伝子でも、複数でみると「心筋梗塞に3倍なりやすい」など、そのようなことが捉えられるようになってきたんです。これはとても有用と考えられており、ヨーロッパの一部の国では、ポリジェニックスコアが臨床的に用いられているようになってきています。しかし、ポリジェニックスコアは全人類共通ではなく、民族によって異なります。そのため、日本人に適した病気のポリジェニックスコアを整備する必要がありますが、その取り組みは始まったばかりです。
自分のゲノム配列を知ること/知らないことは、自身にどのような影響を与えると考えられますか?
これは、純粋に「科学」だけでは答え切れない問いでもありますね。まずは、知りたいか、知りたくないかという問題がありますが、知りたくない人は「知らない権利」が尊重されますのでご安心ください。
知りたいと思った場合、知り方にも、いろいろなバリエーションがあります。コモンバリアントを調べて、慢性疾患のリスクを知りたいと思った場合は、インターネットで購入できる市販の遺伝子検査や人間ドックなどで調べることができます。これらはまだ黎明期なので、ほどほどの猜疑心と距離感を持ってゲノム研究の成果を自分に当てはめて、自分自身を捉え直してみるという点で意味があると思います。決して病気の診断とは考えないでください。もっと細かくレアバリアントも調べたいと思えば、今は「次世代シーケンサー」という機械で、ゲノム全体の文字列を技術的には調べることができます。しかし、自分のゲノム配列を知る場合、それに対する意味をどこまで知るかは、自分で選ばなくてはなりません。ですから、その前にゲノムのことを勉強してリテラシーを高めておく必要があります。適切なカウンセリングを受けることも役立つでしょう。例えば、治療法があり、予防的行動が可能(アクショナブル)なバリアントだけを知ることも選択できます。実際には、治療法が確立されていない病気に関するバリアントや、現時点では病気に関係しているのかどうかまだわからないようなバリアント(VUS)もたくさんあります。現在の自分には役立ちませんが、そういうのも含めて、全てバイオバンク等に提供して今後の医療に役立ててもらうことも、もちろんできます。
実は私たちは、30~40歳代の人20人に、60の慢性疾患に対するポリジェニックスコアによる遺伝子検査を受けてもらい、結果を医師が説明しながら本人に返して、その後の健康観や予防行動を調べる研究を行い、2018年に論文発表をしました。結果は、皆さんそれぞれにリスクが高いと出た結果を理解して受け止め、自分の日常生活を改善しようという意識が高くなっていました。このような意識の変化に基づく行動変容は、慢性疾患の予防につながりますので、大変重要だと考えられます。
これは、健康な人を対象にした研究でしたが、遺伝性疾患の人も、ご自身の意思を尊重することが大前提ですが、チャンスがあれば自分の全ゲノムを調べて良いのではないかと私は考えています。もちろん一度知ってしまった結果は取り戻せないので十分に慎重であることは必要ですが、明らかに遺伝子を知っていた方が、「ビヨンド・ゲノム」、つまり、その先の見通しが良くなるのです。例えば、現時点で治療法がまだ見つかっていなかったとしても、将来、ゲノム情報を必要とする治療が開発される可能性があり、そのときに「自分の病気に対する治療だ」と気付けたりするわけです。
今まで日本人は特に、遺伝的疾患を隠そうとする傾向がありました。こうした傾向が、その先にある世界に一歩踏み出すのを阻んでいました。遺伝子は運命の設計図ではないのです。体で作られるタンパク質の設計図なのです。なので、遺伝的疾患を「運命」という風にとらえるのではなく、冷静に遺伝子と向き合える社会になってくれれば良いなと思っています。
インターネットなどで購入できる市販の遺伝子検査と、病気の診断のために行われる遺伝子検査の違いを教えてください
市販の遺伝子検査(DTC遺伝子検査)で調べているのは、コモンバリアントです。つまり、体質や多因子疾患を調べる検査です。ですから、病気のリスクでは、日常的慢性疾患が対象となり、数個から数十個の関連遺伝子について総合的に計算して、リスクの予測をしています。また、実際の病気の発症には、環境因子の影響が大きいものがほとんどです。先ほどの研究結果のように、例えば遺伝的に糖尿病リスクが高いとわかれば、食事や運動に心がけるなど、対策できるので、そういう意味では予防的行動が可能と言えます。
DTC遺伝子検査が、複数の遺伝子でリスク予測をするのに対し、病院で行われる遺伝子検査は、1つの遺伝子を調べて確定診断をするための検査、つまり、単一遺伝子疾患や、家族性がんなどの遺伝子検査です。病院で行う遺伝子検査は、その後の治療を目的として、アクショナブルな変異を調べる場合もありますし、まだ治療法が確立されていない、希少遺伝性疾患の変異を調べる場合もあります。治療法のまだない希少遺伝性疾患は、2,000種類以上あります。
それ以外は、体細胞変異(後天的にがんになった細胞の遺伝子)を調べる検査で、もともとのその人のゲノム情報を調べる検査とは少し異なりますが、2019年に保険適用になった「がんの遺伝子パネル検査」も、病院で行われる遺伝子検査のひとつですね。
先生は「レアバリアント・サーベイランス研究会」を運営しておられますが、この研究会はどのような活動をされているのでしょうか?
現在、コモンバリアントを人間ドックの項目として入れているクリニックがいくつかありますが、同様に、レアバリアントも入れられるようにするための準備を行っている会です。
レアバリアントは、病気に関与する程度によって、病原性(pathogenic)、おそらく病原性(likely pathogenic)、病原性か良性か不明(VUS)、おそらく良性(likely benign)、良性(benign)の5段階に分けられます。
こうしたレアバリアントを、ただ人間ドックで検査できるようにするだけでなく、「VUSがとても多い人には、どのように結果を返すのが最適か」「病原性や、おそらく病原性についても、どのように結果を返すのが最適か?」「家族性があるものは、どのように家族に返すのが最適か?」というような、検査後のフォローアップを含めた最適な方法(ベストプラクティス)をメンバーで話し合っています。
活動の実態としては、まだ医療者を中心とした勉強会の段階です。その変異を持っていた場合に、どのくらいの確率で発症するか(浸透率)を含め、まだ病気とバリアントの関係がわかっていないものもたくさんあるのが現状です。そのため、データを集めるためのシステムについても考えています。
今後の日本での「遺伝子診断」「遺伝子治療」普及の展望について、先生の考えをお聞かせください。
今後、遺伝情報が一般医療の中に、急速に入っていくことは間違いないと考えています。がんや難治性希少疾患ではゲノム医療がすでに始まっていますが、これからは予防医療の方にもどんどん広がっていくと思います。私の考える未来は、自分のゲノム配列(パーソナルゲノム)を、みんなが当たり前に知っていて、普通の医療情報として使える社会です。そんな時代がいつ訪れてもいいように、皆さん一人ひとりが、ゲノムや遺伝についての正しい知識を持っている必要があると思います。
ゲノム編集による遺伝子治療が話題になっていますが、近い未来に実現すると先生はお考えですか?
ゲノム編集による遺伝子治療を受ける場合、ほとんどの人は、自分の子どもにも治療した遺伝子、つまり「病気にならない状態」が引き継がれていくことを望まれると思います。しかしそれは、安全性やその他の理由で、まだ難しい状況です。そのため、ゲノム編集による遺伝子治療が行われるようになるには、限られた病気で試され、その後もかなりの時間がかかるのではないかと考えます。
人間のゲノムの全体像が簡単にわかる時代になったものの、ふたを開けてみると病気と遺伝子の関係性には、いろいろなパターンがあり、とても複雑だということがわかりました。また、病気との関係がよくわからない部分も多くあり、遺伝子検査にもまだ多くの課題が残されているようです。しかし、「ゲノム医療の普及はもう近くまで来ている」と、村松先生は見ています。来るべきそのときに向けて、私たちも少しずつ、ゲノムや遺伝子の知識を身に着けて、理解した上でゲノム医療を受けられるようになっておきたいですね。(遺伝性疾患プラス編集部)