網膜色素変性症など視覚障害を伴う遺伝性疾患の当事者は、日常生活においてさまざまなお困りごとをお持ちかと思います。写真撮影も、その一つ。SNSでの発信やコミュニケーションの場で「もし、写真も一緒に載せることができたら…」と感じたことはないでしょうか。そのような当事者のお困りごとを解決するため、視覚障害がある方を支援する写真撮影システム「VisPhoto」が開発されました。
全方位カメラを用いた「VisPhoto」は、被写体にカメラを向けなくても簡単に撮影できるシステムです。遺伝性疾患プラスのニュースでも「VisPhoto」の研究をご紹介したところ、「視覚障害の当事者向けの写真撮影、気になる…!」といった声が編集部にも寄せられました。同システムは、大阪公立大学大学院情報学研究科准教授の岩村雅一先生、大学入試センター教授の南谷和範先生の研究グループが開発。南谷先生もまた、視覚障害の当事者です。今回は、その開発の背景や今後の実用化予定などについて、お二人の先生にお話をお伺いしました。
きっかけは、視覚障害がある方の「SNSで積極的に発信したい」の声
「VisPhoto」開発に至った背景について教えてください。
視覚障害がある方の「SNSで積極的に発信したい」というニーズに応えるためです。友人とのコミュニケーションや情報発信に、SNSの活用は欠かせません。特に、現代のSNS活用では、写真を使ったメッセージが効果的です。しかし、視覚障害がある方がご自身の意図通りに写真を撮影するのは困難で、特に、いわゆる“SNS映え”するような写真となると至難の業です。そのため、私たちは「VisPhoto」の開発を進めました。
被写体にカメラを向けなくても簡単に撮影!全方位カメラとAI技術で
従来の撮影手法には、どのような課題がありますか?
典型的な従来手法(アプリで視覚障害がある方のカメラの向きを指示する手法)は、スマートフォンのカメラで被写体を捉えることでナビゲーション(カメラの向きの指示)が始まります。そのため、最初に被写体をカメラのフレームに収めるまでは「自力で操作しないといけない」という難しさがあります。また、複数の被写体を同時に撮影すること(例:りんごとバナナ、など)が想定されておらず、加えて、ナビゲーションに時間がかかるために動く被写体(例:ネコなど)を撮影することには不向きです。
従来の撮影手法と比べて、「VisPhoto」にはどのような特徴がありますか?
VisPhotoの一番の特徴は、被写体にカメラを向けなくても写真を撮影できることです。これは、全方位カメラを用いることで、実現しました。そのため、全盲の方にも写真撮影を楽しんでいただけます。また、一般的な写真撮影ではカメラを被写体に向けてからシャッターを押しますが、VisPhotoの場合は逆で、シャッターを押してから被写体を決めます。被写体を決めるのに使うのが、「物体検出技術」と呼ばれるAI技術です。
全方位カメラで周囲360度の写真を撮影した後、スマートフォンやパソコンでVisPhotoを開くと、全方位カメラで撮影した画像と、画像に写る物体のリストが表示されます。利用者が写真に含めたい物体を選択すると、VisPhotoが自動的に希望した物体が写っている写真を生成するという仕組みです。
VisPhotoを体験した当事者「簡単に・素早く・確実に写真撮影できる
実際にVisPhotoの実験には、どのような視覚障害がある方が参加しましたか?
VisPhotoの実験は、大きく分けて3回行っています。最初の実験の参加者は全盲の方8人、2回目の実験の参加者は全盲の方7人・弱視の方3人の計10人、3回目の実験の参加者は全盲の方15人・弱視の方9人の計24人でした。
実験参加者からは、「VisPhoto」に対してどのような声が寄せられていますか?
VisPhotoに対する肯定的な感想としては、「全方位カメラは撮影対象をカメラで狙う必要がないので、簡単に写真を撮れる」「(従来手法に比べて)全方位画像から切り取る方が、素早く確実に撮影できる」といった声がありました。一方、従来手法との比較では、「音声でカメラの位置を指示してくれる方が自分で写真を撮った実感がある」「写真は自己表現の場なのでVisPhotoのようにシステムが勝手に切り取る位置を決めるのは好きじゃない」という声も。このように、自分で撮影したという実感や自己表現という観点では、VisPhotoより従来手法が優れているという意見もありました。つまり、VisPhotoは簡単に写真を撮影できる反面、簡単過ぎて写真を撮る楽しみを奪っているという側面もあると言えます。
写真撮影の簡便さと撮影の実感・自己表現のバランスは、被写体によって変化します。例えば、手の届く範囲にある被写体であれば、触って位置を確かめられるので、撮影の実感や自己表現を重視して従来手法を選ぶ人が多い傾向が見られました。一方、手の届く範囲にない被写体や、複数物体から成る被写体、動く被写体は撮影が難しいため、写真撮影の簡便さを重視して、VisPhotoを選ぶ人が多い傾向が見られました。なお、生後3年以内に視力を失った方は、手の届く範囲にある被写体であっても写真撮影の簡便さを重視してVisPhotoを選ぶ傾向がありました。
“触れることのできる”写真の研究や「VisPhoto」実用化も模索中
「VisPhotoによって保存した写真が、どのように写っているかを知りたい」という当事者からの声に対して、今後、新たな開発の予定はありますか?
VisPhotoを開発した目的の一つに、視覚障害がある方が撮影した写真を晴眼者に見てもらうことで、思いを共有できるようにしたいというものがあります。そのため、視覚障害がある当事者がVisPhotoで撮った写真を見ることは想定していませんでした。しかし、実験参加者から「自分で撮影した写真を自分でも見たい」という声が寄せられたことから、現在、触れることのできる写真の実現に向けて研究を始めています。
従来の触れることのできる写真は、紙面が盛り上がることで、例えば人の輪郭がわかるといったものです。私たちは、3Dプリンタを用いることで、より多くの情報を触ってわかる写真の実現を目指しています。
今後、「VisPhoto」実用化(販売)の予定はありますか?
技術的には、VisPhotoはおおむね完成しており、視覚障害がある方に新しい経験を提供する準備はできていると自負しております。ただ、一般の方々へのサービス提供(商品化)を実現するには、必要なコストをユーザーに継続的に負担していただけるようなビジネスモデルの構築が不可欠となります。そのため、一緒に商品化に向けて動いていただけるパートナーの出現の出現を待ちたいと思っています。
写真をうまく撮るためにカメラをどう動かす?すぐ利用できる音声ガイドアプリも開発
「VisPhoto」の実用化を待つ間に、視覚障害がある方が今できる写真撮影時の工夫について教えてください。
実験でVisPhotoとの比較するために、iPhoneで動作する典型的な従来手法を作成しました。iPhoneユーザーの方は、App Storeから「tf-cam」と検索していただくと、無料でダウンロードしていただけます。このアプリは、最初に被写体を80種類の中から1種類選び、その被写体の写真をうまく撮るためにカメラをどう動かしたらいいかを音声で教えてくれます。もしよろしければ、お試しください。
感動体験を周囲の人に伝えられるツール「VisPhoto」に注目
遺伝性疾患プラスの読者にメッセージをお願いいたします。
病気を理由に目が不自由になったり、視力が低下したりした場合でも、ご自身の感動体験を周囲の人に伝えられるツールとしてVisPhotoに注目していただけると幸いです。また、私たちの参加するプロジェクトでは、視覚障害のある人が触ってわかるDNA二重らせんの模型も製作しています。こちらは視力低下などさまざまな症状が現れる遺伝性疾患である網膜色素変性症の当事者の皆さんから、「自分の病気の背景を勉強したい」とリクエストをいただき開発したものです。こちらにも興味を持っていただければ幸いです。
視覚障害がある当事者から、従来の撮影手法に比べて「簡単に、素早く、確実に撮影できる」という声が寄せられている「VisPhoto」。実験には全盲や弱視の当事者も参加されていることから、幅広く視覚障害がある当事者の声が反映されていることがうかがえます。また、「自分で撮影した写真を自分でも見られるようにしたい」という当事者の声を受け止め、現在、触れることのできる写真の実現に向けて研究を始めているとのこと。取材を通じて、岩村先生や南谷先生の研究グループが、当事者の声と真剣に向き合われていることが伝わってきました。今後も、先生方の研究開発に期待が寄せられます。(遺伝性疾患プラス編集部)