地震・豪雨など、日本ではさまざまな災害が起こる可能性があり、日々の備えが大切です。病気や障がいがある当事者の場合は、お持ちの症状や障がいにあわせて必要な支援が異なります。そのため、遺伝性疾患プラスでは「国や自治体の対策」「難病の当事者の災害への備え」などについて専門家の先生にわかりやすく解説していただきました(専門家インタビュー記事はコチラから)。今回は、実際に災害を体験した当事者の視点から、どのような備えが大切だと感じられているかをご紹介します。
今回お話を伺ったのは、2024年1月1日に発生した「能登半島地震」を経験した高崎さんです。高崎さんは視覚障害がある当事者であり、全盲です。地震により、2階建てのご自宅の1階部分はつぶれた状態に。高崎さんと同居相手のお二人は地震当時1階にいたことから、一時、ご自宅の中に閉じ込められました。ご自宅から脱出した後は避難所生活を経て、現在、ご家族の住む別の地域へ移動されて生活を送っています。高崎さんのお話を伺う中で、備えに関する3つのポイントが見えてきました。
- 食料・飲み物などの「非常時持ち出し品」の置き場所
- 日頃からのご近所の方とのコミュニケーション
- 自治体との連携
この3つのポイントについて、高崎さんはなぜ大切だと考えられたのでしょうか?今回の記事では、地震当時の様子や高崎さんの状況・行動とあわせて、振り返っていきます。遺伝性疾患の当事者・ご家族の皆さんは、ぜひ、ご自身の備えを見直すきっかけにしていただければと思います。
自宅1階がつぶれて閉じ込められるも、お隣さんの協力を得て脱出に成功
高崎さんの視覚障害の状況について、教えていただけますか?
全盲で、両目に義眼を入れています。親の話だと、1歳半頃から私の目がよく見えていないことがわかり、病院にも何回か連れて行ってくれたそうです。視力0.01程度で生活していており、小学校高学年頃には全く見えない状況、つまり、全盲になりました。
能登半島地震の当日、高崎様は同居相手の方とお二人でご自宅にいらっしゃったと伺いました。当時の状況について教えていただけますか?
私は2階建ての自宅の1階の部屋の真ん中辺りに、同居相手は1階のトイレの中にいる時でした。ちょうど夕食前の時間帯で、16時頃に「あ、地震だな」と思ったのを覚えています。その後に、あの大きな地震がきました。地震により、自宅の1階部分は家具や家電を含めて全て押しつぶされたような状態に。2階への階段はつぶれて上がれない状況でした。互いに押しつぶされてはいないものの身動きは取れない状況におり、大きな声を出せば会話できるような距離にいました。そのため、声を掛け合いながら地震の揺れが収まるのを待ち、脱出を試みようとしました。この時、同居相手はトイレの戸が歪んで開かなくなり自力では出られない状況でした。自分は「何とか戸を蹴とばして、出るんだ!」と声掛けしたのですが、蹴とばしたくらいでは戸は全く動かない、ということが続きました。
この時、何とか自分は体を動かすことができる状況だったことから、自力で自宅の外へ脱出できました。この時、ちょうどお隣にお住まいの方がいらっしゃって、「誰かおるか?」と声をかけてくださったんです。普段の私は、白杖を持って移動しているのですが、この時の私はもちろん白杖を持っていません。そんな時、たまたまお隣さんがいらっしゃって、声をかけていただいたことは本当に幸運なことだったと思います。お隣さんの協力を得て、同居人もようやく自宅の外へ脱出することができました。
自宅の中に閉じ込められていた時の状況を、詳しく教えていただけますか?
閉じ込められていた時は、脱出するために無我夢中で、何かを考える余裕はなかったです。今改めて考えると、「もし自宅が完全につぶれていたら、一体どうなっていたんだろう」とは思います。自分も同居相手も、つぶれないところにいることを確認してからは「大丈夫か?」と、声を掛け合いながら確認しあっていました。私は目が見えないので、声の情報だけが頼りですから。
同居相手は、トイレに閉じ込められたことが本当に怖かったようで、当時の自宅を離れた今でも「トイレの扉を締めるのが怖い」と言っています。あの時、もしトイレのドアが開いていれば、閉じ込められることはなかったかもしれないですからね。
地震によるご自宅の損壊を経験され、「〇〇しておけば良かった」ということはありますか?
一番は、食料品と飲み物の確保です。災害時に備えて、食料品と飲み物を含めた「非常時持ち出し品」を準備されている方も多いのではないでしょうか?震災を経験して、「簡単に取り出せる場所に置いておかないと意味がない」と痛感しました。例えば、自分の場合は押し入れに収納していた所、自宅の1階部分が押しつぶされた状態になりました。ですから、扉がつぶれて開かなくなり取り出せなかったんですね。損壊まではいかないかもしれませんが、自宅から逃げることを想定して「簡単に取り出せる場所」に常備することが大切なのではないでしょうか。自分たちの場合は、十分な支援物資が届いていない状況の避難所で過ごしました。食料品と飲み物に加えて、冬場であれば防寒着なども必要だと思います。能登半島地震の場合は1月で冷え込む時期でしたが、なかなか毛布なども足りておらず、ひどく寒い状況で夜を過ごしました。
混乱する避難所で必要な支援をうまく得られず、自治体との連携の必要性を痛感
避難所で過ごされた時の状況について、詳しく教えてください
当時の自宅の避難所は、最寄りの中学校でした。幸いにも自衛隊の拠点が近くにあったようで、混乱の中、自衛隊の方々が支援物資などを持ってきてくださっていたようです。ただ、私と同居人はなかなか支援物資の情報を得られずに困っていました。というのも、私たち2人は車で移動をしていたため、中学校の中ではなく車の中で過ごす時間が多かったためです。今思えば、もっと自分たちから「視覚障害があること」や「情報を教えて欲しい」と伝える選択肢もあったのかもしれません。しかし、突然の災害に見舞われ大きな混乱の中にいましたから、私たちもどのように動いたら良いのかよくわからなかったのです。
どこへ行ったらどのような支援を受けられるのかがよくわからず、例えば、あまりの寒さに毛布を探しに行くと「すでに配布が終わっています」とのことでした。自分と同居人が普段服薬している薬が手元になかったこと、食料不足と寒さへの不安などから、避難所生活3日目に車で親族のもとへ移動することを決めました。地震の影響で、自宅に駐車されていた車の窓ガラスも割れており悲惨な状況でしたが、当時は必死でした。通常であれば車で2時間程度の距離でしたが、8時間かけて着いたと記憶しています。
避難所で必要な支援をなかなか受けられなかった、ということなのですね。今振り返ってみて、どのような行動が大切だったと思いですか?
災害に備えて、「受けられる支援」を把握することだと思います。現在、別の自治体へ移動し、「受けられる支援」を知る機会が増えたと感じています。例えば最近、転居先の自治体で「避難行動要支援者名簿」に登録してもらいました。これから、避難行動要支援者として「個別避難計画」を作成してもらうことになると思います(詳しい内容は、コチラの専門家インタビュー記事をご覧ください)。自宅があった場所は、長年住んでいた地域です。住み慣れた地域でしたから、白杖があれば一人で問題なく移動できるくらい道などを熟知していました。自分の記憶では「個別避難計画」は作成されていなかったのではないかなと思います。ただ、今回災害を経験したことで、「個別避難計画」を含め、備えの重要性を痛感しました。
被災後のできることには限界が。“万が一”に向け、今からできることを考えよう
ここでは、病気や障がいがある方の困りごと解決をお手伝いする「みんなの〇」代表の吉岡忠助さんも交えて、お話ししていただきました。吉岡さんは、能登半島地震の発生受け、春頃には現地に入り、ボランティア活動にも携わっています。そこで今回は、高崎さんと一緒に、災害時に向けてどのような備えが必要か、また、万が一災害に遭った時にどのような行動が大切かについて、お話ししていただきました。
吉岡さん: 避難所でのお話、ありがとうございました。当時の状況やお気持ちについて、詳しくお伺いさせてください。緊急事態の中、高崎さんご自身は「積極的に、視覚障害があることを言いづらい」と感じられていたということでしょうか?
高崎さん: そうですね。「伝えることを遠慮してしまった」という感覚が近いでしょうか。当時の避難所は人でいっぱいで、ひどく混乱しているような状況でした。加えて、自分の場合は、同居人が晴眼者であり、動くことだけは何とかできた状況でしたから。また、避難所は白杖を持って歩けるような状況でなかったので、見た目でも、自分に視覚障害があるとわかりにくかったのではないかと思います。避難所では、名前の記入をしたくらいで、自身の障がいの有無を伝える機会はありませんでした。
ただ、今振り返ると、避難所で「視覚障害があること」を自治体の方へ積極的に伝えることをしても良かったのかもしれません。支援を必要としていることを積極的にお伝えすることで、何か状況が変わったのかもしれないです。一方で、お伝えした場合を想像してみると、「自治体の方は、きっと対応しにくくかったのではないかな」とも思います。緊急事態ですから、誰かを個別にフォローすることは難しいのではなかったのかなと。繰り返しになりますが、「個別避難計画」などの作成を通じて、日頃から自治体の方と連携しておくことも大切なことの一つだったのではないかと考えます。
吉岡さん: 災害時ですから、ご自身から「支援が必要です」と言いづらい状況があったのではないかと想像しています。緊急事態であっても、当事者の方がスムーズにコミュニケーションできる仕組みづくりが必要だな、と感じました。私たちの活動を通じて、解決のお手伝いができないか、検討したいと思います。
それでは改めて、高崎さんご自身が大切だと考える「災害への備え」を教えていただけますか?
高崎さん: 先程の話と重複しますが、大きく3つあります。1つ目は、自宅から逃げることを想定した場所に「非常時持ち出し品」を置くことです。災害時、食料の確保は必須だと思います。ご自宅で準備されている方も多いだろうと思いますので、今一度、置いている場所を確認されてみてはいかがでしょうか(難病や障がいがある当事者向け:災害に対する準備の詳細は、コチラの専門家インタビュー記事をご覧ください)。
2つ目は、日頃からの自治体との連携です。自分の場合は、住み慣れた地域ということもあり、これまでは重要性を感じていなかったように思います。ただ、今回の地震を経験し、実際に災害が起こってからできることは限られるのだと実感しました。私も、避難先の新しい自治体で「避難行動要支援者名簿」登録などを進めてもらっています。万が一の災害に備えて、準備を進めていきたいと思います。
3つ目は、ご近所の方との関係づくりです。お住まいの地域やお持ちの障がいによっては、なかなか難しい状況もあると思いますので「できる範囲で」ですね。今回、私と同居相手が無事に脱出できた後、最初に話したのは「ご近所の方が声をかけてくださって、本当にありがたかった」ということです。視覚障害がある自分だけの力では、きっと、同居相手を救出できなかったのではないかと考えます。一方で、正直に言うと、自分はそれほど積極的にご近所の方々との関係づくりをしてきたわけではありません。顔見知りでご挨拶する程度の関係性でした。そんな中でも、震災時に親切に助けていただき、本当に感謝しています。
吉岡さん: 高崎さんの挙げてくださった3つのポイントは、当事者もご家族の皆さんも、すぐに確認できる内容ですね。今回の高崎さんのお話からも、実際に災害に巻き込まれた後では、できることには限界がありそうです。高崎さんのように、うまく必要な支援を受けられないという可能性も考えられます。万が一の災害時に備え、今回のお話をもとに、当事者やご家族の皆さんには、ぜひ備えの確認をしていただきたいと思いました。
吉岡さんが代表を務める「みんなの〇(まる)」は、病気や障がいがある当事者の困りごとを解決するために活動しています。災害に遭われた当事者の支援に向けても、今後、活動を検討されるとのことです。
今回、高崎さんにお話を伺ったのは、年始の地震に続き、激しい豪雨が石川県の能登半島を襲った直後でした。「住んでいた自宅がどうなっているか、全然わからないです。地震より豪雨被害で大変だという声も聞きますね」と話してくださった高崎さん。地震、豪雨などの災害はいつ起こるかわかりません。災害が起きていない平常時の時こそ、ご自身の備えを見直してみてはいかがでしょうか。(遺伝性疾患プラス編集部)