遺伝性疾患の当事者とライフイベントの向き合い方「就職・結婚・出産」(1)

遺伝性疾患プラス編集部

遺伝性疾患とともに生きていく中で、ご自身のライフイベントどのように向き合い、行動したらいいか悩むことはないでしょうか。例えば、就職活動の時、パートナーとの結婚を考える時、「病気のことを、どのように伝えたらいい?」と不安に感じられた経験はありませんか?また、妊娠・出産を考える時も、「誰かに相談したい」と思われるかもしれません。

そこで今回は、「就職・結婚・出産」を経験された当事者・小澤綾子さんにお話を伺いました。小澤さんは筋ジストロフィーと診断を受けた20歳の頃、「あきらめないといけない」と思った3つのライフイベントがあります。それが、「就職・結婚・出産」でした。小澤さんは、一度はあきらめたライフイベントとどのように向き合っていったのでしょうか?前半の記事では、症状が現れていた幼少期から診断を受けられなかった時期の思い、そして、ライフイベントの「就職」を中心に小澤さんのご経験をご紹介します。

Md01
小澤綾子さん

10年経って確定診断、ようやく「自分は悪くなかった」と思えた

筋ジストロフィーの診断を受けられた経緯について、教えてください。

筋ジストロフィーの症状を自覚したのは、小学4年生(10歳)の頃です。思うように歩けなかったり、走りにくかったりして、病気を疑って何度か病院へ行きました。しかし、病院の先生からはいつも「個人差の範囲内でしょう」と説明があるだけで、なかなか診断がつかない日々を過ごしました。ようやく診断を受けたのは、私が20歳の頃です。それまで、病院を転々としてきました。

診断を受けた20歳の頃は、さらに症状が進行しており、手すりなしでは階段を登れなくなっていたほどでした。受診した大学病院では、最初、整形外科へ行きました。そこで先生が「神経の病気かもしれないので、神経内科で診てもらってください」と言ってくださり、初めて神経内科を受診することができたんです。そして、神経内科での検査を経て、肢帯型筋ジストロフィーであるとわかりました。診断を受けた時、医師からは「難病のため治療法がないです。また、進行性の病気なので、10年後には車いすの利用が必要になり、その先は寝たきりの生活になるでしょう」と説明を受けました。

ようやく確定診断を受けたとき、どのようなお気持ちでしたか?

「これから、私はどのように生きていけばいいのだろう…」と絶望した一方で、嬉しかったのも事実です。なぜなら、病院の先生が初めて私の症状を「病気」と認めてくれたからです。それまでの私は、学校の先生や友だちから「サボっている」と誤解されてきました。例えば、体育の授業で、自分は一生懸命に走っているつもりでも、先生からは「真面目に走りなさい」と注意されるということがありました。どんなに努力しても「私は他の人と違う」と思い知らされるのはつらかったです。何より、「誰にもわかってもらえない」「自分は一人なのだ」と思うのはつらい日々でした。だから、初めて病気だと認めてもらったことで、「これまでのことは全部、病気のせいだった」と思えたのは本当に嬉しかったです。

情報が得られず「あきらめないといけない」と思った就職・結婚・出産

診断を受けられた当時、病気に関して「知りたいけどわからなかったこと」はありましたか?

正直に言うと、「調べたいけど、怖くて調べられなかった」という状況でした。また、私が診断を受けた当時は、今ほどインターネットでさまざまな情報を得られるような状況ではなかったので。そのような中でも、特に当時知りたかったのは、「筋ジストロフィーの当事者が実際にどのような人生を歩んでいくのか」ということです。診断を受けた後もいきいきと生活していらっしゃるような、ロールモデルとなる方のお話を聞きたかったです。当時、もしそういう当事者の情報を得られていたら、自分が想像していた筋ジストロフィーとは、全く異なる病気のイメージを持てたのかもしれません。

私は、自分の病気がわかった当時、あきらめたことが3つあります。それは、「就職すること」「結婚すること」「自分の子どもを産むこと」です。自分が20歳の頃は、これらの3つについてさまざまな選択をしている当事者がいらっしゃることを知りませんでした。だから、当時の私は「あきらめるしかない」と思っていたのです。ですから、もっと早くに他の当事者の状況を知りたかったですね。今、私が自身の経験を発信している理由の一つは、当時の自分のように情報を得られずにあきらめようとしている当事者の方へ情報をお届けしたいからです。

「必要とする支援+できること」をセットで伝えた就職活動

就職活動の際、ご自身の病気について企業側に伝えるかどうか、また伝える場合はどのタイミングで伝えるかなど、難しい判断を迫られたのではないかと思います。当時の企業の反応や、やりとりの中で印象に残っていることなどを教えてください。

私は、「筋ジストロフィー」という病気を公表して就職活動に臨んでいました。そのため、病気に対するマイナスの反応を受け止めながら活動していました。例えば、「この病気は、どのくらいの年齢まで働けますか?」「どういうことができないんですか?」など、確認されていたような状況です。最終面接まで残った場合であっても、病気を理由に採用されないことが圧倒的に多かったです。

Md01 02
病気を公表して臨んでいた就職活動(写真はイメージ)

一方で、周りの友だちはどんどん就職が決まっていきました。そういった環境もあり、「筋ジストロフィー」という病気のことしか見てもらえない自分に、当時は落ち込んでいました。同じ頃、大学の先生から「身体障害者手帳を取得して、障害者雇用の枠で、就職活動するのはどうかな?」とアドバイスを受け、そのように考えた時期もありました。しかし、障害者雇用の枠では、当時の自分が「本当にやりたい」と思える仕事を見つけることができず、さらに悩むことになりました。「やはり、私は周りの友だちと同じようには働けないのではないか…」とも感じ、つらかったです。ですが、このようにつらかったからこそ、「病気があっても、障がいがあっても、私はあきらめたくない」という姿勢を社会に示したいと思うことができました。

企業側の反応を踏まえて、どのように病気の情報を伝えるようにしていましたか?

「自分が必要とする支援」と「自分にできること」をセットでお伝えすることです。病気の概要と今の症状を伝える際に、「こういうふうに手伝ってもらったら、自分は〇〇ができます」と、ポジティブな表現で伝えるように心がけていました。自分の“取り扱い説明書”をつくるイメージです。

そして、現在も働く会社に入社しました。他の企業と同様に、病気のことは伝えていたものの「小澤さんはどんなことをやってみたい?」「何が得意?」と私自身の考えを積極的に聞いてくれたことが印象的でした。「他者との『違い』を強みとして、イノベーションに変えていく会社なので、ぜひ活躍してほしいです」と言っていただけたことが入社の決め手です。入社して働き続けている今も、病気や障がいをマイナスに捉えられることが全くない社風は変わりません。

また、チャレンジできる環境も良かったと感じています。私は入社時、システムエンジニアという職種で働いていました。そこからさまざまなプロジェクトに関わる中で、「人の成長に関わる仕事に就きたい」と考えるようになったんです。そこで希望を出し、現在の人事部へ異動しました。

働き続けるために、当事者が周りに共感し続けてもらうための行動も

働く中で、企業側とはどのようにコミュニケーションを取ることが大切だと感じられていますか?

私は、「コミュニケーションを取り続けること」が大切だと考えています。企業側、特に一緒に働く同僚へ自分の状況を伝え続けて、わかっていただく努力をするイメージです。なぜかというと、働き続ける中で自身の状況も変わってくるからです。そして、自身の状況を伝えなくては周りの人には何も伝わりません。それは、病気や障がいの有無に関わらず、皆さん一緒なのではないでしょうか。

例えば、私は自分の子どもが生まれるまで、子育てをしながら働く同僚の状況を本当の意味でわかっていなかったのだと痛感しました。「子どもの夜泣きが大変で、昨日の夜、全然眠れなくて…」と自分から話すことで、「それは眠いよね。本当に大変だよね」と周りの人に理解してもらえるかもしれません。そして、それが“本当の意味で働きやすさ”につながるのではないかと思うのです。それは、私たち病気や障がいがある当事者も同じです。昨日までは症状が落ち着いていたのに、今日は急に症状が悪化して、何かが突然できなくなることがあるかもしれません。それを周りの人へ伝え続けて、コミュニケーションを取り続けていくことが大切なのだと思います。もし一度では伝わらなかったとしても、繰り返しコミュニケーションを取る中で相手に伝わることもあると考えます。

Md01 03
大切なのは「コミュニケーションを取り続けること」(写真はイメージ)
最近、「合理的配慮」という言葉がよく使われるようになってきました。当事者はどのようなことに気を付けたら良いと思いますか?

周りに合理的配慮を求めることも大切な一方で、私たち当事者が周りに共感し続けてもらうための行動も大切なのではないでしょうか。例えば自分の場合は、もし必要とするサポートがあれば、上司や同僚に「今こういう状況で、こういう点を助けてもらいたいです」と伝えるようにしています。中には、どうしてもできない仕事も出てくると思います。そういう時は、「〇〇は難しいですが、私は、こういう方法で□□はできます」といった伝え方もできると思います。

その他、健康を管理する努力を続けています。そのおかげもあり、病気の症状以外で、風邪などではほとんど会社を休んだことはありません。自分の場合は、周りの人に「小澤さんは病気があるから仕方ない」と感じてほしくないですし、相手にも納得感を持って私と一緒に働いてほしいと考えています。同僚に共感し続けてもらうために、自分ができる努力は全力でやりたいと考えています。

別の障がいと向き合う社員とのつながりに、勇気をもらったことも

当事者に対して、どのような就労支援が必要だと思いますか?

目の前の当事者の話に、耳を傾けていただけたらうれしいですね。企業の立場で考えてみると、きっと「どうしたらいいか、わからない」と感じることが多いのだろうと想像しています。その理由は、きっと「当事者によって正解が同じではないから」ではないでしょうか。同じ病気であっても、当事者の数だけ症状の程度もそれに伴う悩みも異なります。ですから、一人ひとりの声に耳を傾けていただき、どのようにしたら目の前の当事者が働きやすくなるのか、一緒に考えていただけたらうれしいです。

小澤さんが働く会社では、どのような取り組みがありますか?

数年前、会社に相談してコミュニティをつくりました。これは、病気や障がいがある社員を理解するきっかけをつくる目的で活動しており、社員であれば、障がいの有無に関わらず誰でも参加できます。コミュニティには、障がいがある方を理解して応援する「アライ」という立場の社員、人事の社員が参加しています。また、普段からカジュアルに会社の人とコミュニケーションを取れる場になっています。

ですから、もし当事者が「働きにくい」と感じることがあったら、直接コミュニティで相談することができます。こんな風に、上司や同じ部署の同僚といったつながりに加えて、さまざまなつながりを持っていることが大切だと思います。いざという時に、当事者が頼れる人や場所が増えると考えるからです。また、当事者以外の社員にも「病気や障がいがある方がどんなことを感じて、考えて、働いているのか」を知っていただくきっかけになれば、と考えています。会社では、その他にもLGBTQ+など、さまざまなコミュニティが活動しています。

小澤さんご自身、会社でのコミュニティ活動によってどのような変化がありましたか?

他の障がいがある当事者が、さまざまな困難を乗り越えて働き続けているのを知ることが、勇気や希望につながると知りました。私自身、コミュニティに参加するまで、同じ会社で働く障がいがある当事者とつながる機会がなかったんです。でも、どこの部署に、どのような病気・障がいと向き合っている方がいるのか知り、そして、つながることができたことで「自分も頑張ろう」と思えるようになりました。

例えば、後輩の社員で、気管切開を経験した当事者がいます。気管切開の影響で声を出したコミュニケーションが難しい状況なのですが、ある時、仕事でプレゼンテーションする必要が出てきました。後輩のチームのみんなで「どのように工夫できるだろう?」と考えた時に、一つのアイディアとして音声読み上げツールの利用があがったんですね。結果的に、音声読み上げツールを利用しながら、後輩はプレゼンテーションを無事に終えることができました。病気や障がいを理由にできないことも、この事例のようにITの力を借りたり、工夫したりして、できる方法を考えることができます。「私たちのように、進行性の病気の当事者でも、希望を持って働き続けられるかもしれない」と勇気をもらった事例でした。


10年の月日を経て、ようやく確定診断を受けた小澤さん。原因不明の症状が病気によるものだとわかった喜びもつかの間、病気を理由に、将来のライフイベントをあきらめることを覚悟しました。就職活動では、病気を理由に苦戦を強いられる状況に。しかし、病気の伝え方を工夫するなど、活動を地道に続ける中で、現在も働く企業から内定を得ることができました。

そして、働き続ける現在も、コミュニケーションを中心にご自身の工夫を教えてくださった小澤さん。病気や障がいの有無に関わらず、全ての働く人にとって気付きの多い内容だったのではないかと感じています。後半の記事では、一度はあきらめたという「結婚」と「妊娠・出産」を中心にお話を伺いました。コロナ禍の時期に出産を経験された小澤さんが、どのようにライフイベントと向き合ってこられたか、ぜひコチラからあわせてご覧ください。(遺伝性疾患プラス編集部)

関連リンク

小澤綾子さん

小澤綾子さん

シンガーソングライター・社会活動家

 

X(旧Twitter):https://x.com/kozakozakozani

Instagram:https://www.instagram.com/ayakoozawa/

Note:https://note.com/ayakozawa

lit.link(リットリンク):https://lit.link/ayakozawa