血友病Aと音楽の仕事、当事者が「好き」を仕事にするために大切なこと

遺伝性疾患プラス編集部

河野友弥さん(男性/37歳/血友病A患者さん)

河野友弥さん(男性/37歳/血友病A患者さん)

ベーシストとしてアーティストのライブサポート、ミュージカル公演での演奏で活動している。ヤマハの講師も務めており、新講師の育成研修や、全国で使用される教材の製作にも携わっている。チャンネル登録者数が6万人を越えるYouTuberとしても活動している。

血友病Aと診断を受けたのは、5歳頃。重症度は中等症と説明を受けている。

 

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血友病Aは、血が非常に止まりにくくなる遺伝性疾患です。主に肝臓でつくられる血液凝固因子のうち、「第VIII(8)因子」の活性(はたらき)が生まれつき全くない、もしくは十分な活性が得られないことが要因です。

今回お話を伺ったのは、血友病Aの当事者である河野友弥さん。診断に至ったのは5歳の頃で、約30年近く血友病Aとともに生きてきました。高校生時代のバンド活動をきっかけに音楽の道を志し、現在はベーシストやウクレレ講師などとして幅広く活躍されています。一方で、高校生の頃は職業選択について親御さんの理解を得られなかった時期もあったそうです。それでもご自身の好きなことを大切に、音楽の道を志してきました。今回は、河野さんにこれまでのご経験やお仕事との向き合い方について、お話を伺いました。

5歳で血友病Aの診断、当時は通院が苦痛で仕方なかった

血友病Aの診断を受けた経緯について、教えてください。

最初の症状は、右肘や右足首の出血だったと聞いています。当時の出血の影響で、現在は右肘がうまく曲がりません。診断前は、出血により頻繁に痛みが生じていました。中には、夜も眠れないほどの痛みが生じた時もあり、朝まで泣き続けるほど痛かった記憶があります。病院の整形外科を受診するものの、「捻挫か打撲でしょう」と、説明を受けるだけでした。ただ、あまりにも頻繁に続くため大学病院を紹介され、血友病Aと診断を受けました。血友病Aと診断を受けたのは僕が5歳の頃で、症状が現れ始めてから1年以上は経っていたそうです。僕自身、診断を受けた時に、家族と一緒に医師から血友病Aの説明を受けました。

血友病Aと診断を受けた後、治療についてはどのような記憶がありますか?

静脈注射による補充療法が、嫌で仕方なかったです。現在、血友病Aの場合は皮下注射の抗体医薬が登場したのですが、僕が診断を受けた当時はまだありませんでした。治療の度に毎回、泣き叫んで嫌がっていたので、無理やり押さえられて補充療法を受けていた記憶があります。当時は、通院して補充療法を受けていました。車で片道1時間半くらいかかる病院だったため、通院の日は学校を休まなければいけなくて…。当時、通院の日は、朝から家の中で隠れて、必死に抵抗していました。それぐらい、子どもの頃は通院や治療が嫌でした。

今考えると、一緒に通院していた母親は本当に大変だったと思います。子どもの頃はわからなかったのですが、自分も親の立場になったので、理解できるようになりました。当時、母親は仕事を休んで一緒に通院してくれていました。職場での調整なども大変だっただろうと思いますし、それに加えて、嫌がる僕の対応もあり、相当苦労しただろうと思います。ただ、これは約30年前の話なので、現在とは状況が違います。今では薬の開発も進み、当事者やご家族の負担は確実に減っています。これからも薬の開発は進んでいくと思いますし、それによって、当事者やご家族の生活がより良くなっていくことを願っています。

「音楽を仕事にする」覚悟を決めた高校生時代

音楽に関わる仕事をしたいと考えるようになったきっかけについて、教えてください。

「音楽が好きだったから」というのが、大きかったと思います。バンド活動を通じてベースを始めたのが、高校生の頃でした。楽器の担当はじゃんけんで決めたので、最初は「ベースって何?」という所から始まりました。僕を含めバンドメンバーはどんどん力をつけていき、高校3年生の頃には「東京でデビューしませんか?」と複数の事務所から声をかけていただくレベルになっていました。

当時は地方に住んでいたこともあり、東京に引っ越すだけでも大きな決断です。僕は、迷わず「東京でデビューしたい」と考えていました。しかし、バンドメンバーの全員がその決断をできるわけではなく、結局、そのバンドは解散することになりました。この出来事がきっかけで、「自分一人で、絶対に音楽で食べていく」と、決意しました。

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高校生の頃「『自分一人で、絶対に音楽で食べていく』と決意した」と、河野さん
河野さんの決意に対して、当時、親御さんはどのような反応でしたか?

大いに、揉めました。僕は、親から「病気のこともあるし、仕事は安定している公務員がいいよ」と言われて育ってきたんです。それなのに、「音楽を仕事にする」と言い出したわけですから、当時は、親から相当怒られました…(笑)。

だけど、そんな親も最終的に自分の決意を応援してくれたんです。僕が、東京へ行くためのお金を工面するために働いている姿を見てくれていたので、「中途半端な気持ちではない」と、理解してくれたのだと思います。あの時、東京へ送り出してくれた親には、本当に感謝しています。こういったこともあり、自分の中で、「音楽を仕事にする」という覚悟が、より強くなっていきました。

大変なことがあっても努力できるのは「好きだから」

東京で音楽活動を始められて、現在、活躍の場を広げられていますが、有言実行できた一番の理由は何だとお考えですか?

音楽の仕事を続けられている今の環境は、本当にありがたいと思っています。人とのつながりに助けていただいた部分ばかりなので、周りの方々に感謝しています。もしかすると、SNSの発信などから自分の仕事はキラキラして見えるかもしれないですが、実際は大変なことのほうが多いです。それでも続けてこられたのは、音楽が好きだからだと思います。

「音楽って、才能がない人は仕事にできないでしょ?」と聞かれることがあるのですが、僕は、決してそうは思いません。もちろん、音楽は実力の世界ですし、才能にあふれた天才もいます。僕自身は、天才ではない側の人間だと思っています。大切なことは、そのことを理解した上で1つひとつの仕事と丁寧に向き合い、努力し続けることだと考えています。もし才能がなくても、それによって大変なことがたくさんあっても、好きだから努力し続けることができます。これは、音楽の仕事に関わらず、どの仕事でも言えることではないでしょうか。

音楽活動の中で、出血リスクにつながると感じた出来事について教えてください。

重い楽器を伴う移動の際には、出血のリスクがあると思います。例えば、コントラバスは約10㎏の重さがあります。お金がなかった時代、僕は車を持っていなかったので、電車による移動が当たり前でした。電車移動の場合は、重い楽器を運びながら歩く距離も増えます。関節へのダメージも、あるのではないかと思いますね。

その他、楽器の種類によっては演奏の際に出血リスクにつながることもあるかもしれません。例えば、自分がレッスンを行っているウクレレは、出血リスクが低い楽器なのではないかと思います。そこまで力を必要とせずに、音を出せるからです。ただ、演奏する曲によっては激しく腕を動かすものがあるので、注意が必要です。特に注意が必要だと考えるのは、肘関節を激しく使って弾くような楽器です。常に肘が曲がった状態で、大きな動きを必要とする楽器は、肘が出血部位の方にはあまりおすすめできないかなと思います。

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「楽器の種類によっては演奏の際に出血リスクにつながることもあるかもしれません」と河野さん
お仕事柄、通院・治療に際して気を付けていらっしゃることはありますか?

僕の場合は、ツアーの仕事で全国各地をまわることもあります。自宅から遠い場所で公演がある時は、数週間自宅を離れることもありますので、薬の持参は欠かせません。

僕は自営業なので、会社員の方に比べると通院の調整はしやすいかもしれません。ただ、自分の通っている病院は外来の曜日が決まっているので、万が一、通院日と仕事が重なった場合には、仕事をキャンセルしないといけません。僕たちの業界では仕事をキャンセルする際に、代わりのエキストラをお願いします。この場合、エキストラの方へのお支払いは、自腹になります。会社員の方だとこのような心配はないと思うのですが、自営業ならではの悩みですね。

病気を理由に、好きなことをあきらめないで

ご自身のTwitterアカウントで、お仕事だけでなく血友病Aの発信もされているのはなぜですか?

将来のことなどで悩んでいる血友病の当事者へ、何かお届けできることがあればと考えているためです。僕は、自分の将来について考えていた頃、「他の血友病の当事者がどのような仕事をしているのか」「どのように生活しているか」といったことを知りたいと思っていました。しかし、患者会などの活動に参加する以外では、なかなか具体的に知る手段はありませんでした。周りに同じ血友病の当事者がいることはほとんどないと思いますし、「こんな時、血友病の当事者はどうしているのだろう?」と聞きたくても聞けないのが現状だと思います。

ですから、音楽の仕事をしていくと覚悟を決めた高校生の頃、「将来、音楽で仕事していけるようになった時には、血友病の当事者の1事例として知ってもらえたら」と考えていました。当事者が、病気を理由に何かをあきらめる機会を減らしたいと思ったのです。血友病だと公表していることで、SNSのダイレクトメッセージを通じて、当事者からご相談いただくこともあります。

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「血友病の当事者の1事例として知ってもらえたら」と、河野さん
 最後に、遺伝性疾患プラスの読者にメッセージをお願いいたします。

僕が幼少期を過ごした頃と比べて、現在はさまざまな薬の開発が進み、以前よりも当事者がチャレンジしやすい環境が整ってきていると思います。ですので、血友病Aの当事者の皆さんには、病気を理由に好きなことをあきらめないで欲しいとお伝えしたいです。僕にとっては、何よりも好きなことが音楽であり、今はありがたいことに音楽を仕事として続けることができています。ここまで来るのは、決して簡単ではありませんでした。だけど、僕はあきらめずにこの道を選んで本当に良かったと思っています。だから、皆さんも自分が「好きだ」と思うことを大切にして欲しいです。

そして、ご家族には、ぜひ当事者の好きなことを応援して欲しいと思います。お子さんを心配に思うことが出てきた時には、「ここまでは大丈夫」という線引きを明確にするために、主治医の先生に相談したり、一緒に情報を調べたりするなどして、あきらめない方法を考えて欲しいです。僕自身、好きなことを親に応援してもらって、今も仕事として続けられていることにとても感謝しています。

病気と向き合っていく以上、当事者はもちろん、ご家族の負担がなくなることはありません。最後に、ご家族へお伝えしたいのは「全て自分の責任だ」と、ご自身を責めないで欲しいということです。きっと苦労は絶えないと思いますが、お子さんは大人になるにつれて理解してくれるようになります。僕自身が、そうでした。ですから、ご自身を責めずに、ぜひお子さんと向き合っていただけたらと思います。


今回、血友病Aの当事者とご家族、それぞれにメッセージを送ってくださった河野さん。さまざまな困難の中で、好きなことを仕事にした河野さんだからこそ「病気を理由に、好きなことをあきらめないで」というメッセージが印象的でした。また、ご自身の夢を応援してくださったご家族への感謝の思いも、強く伝わってくるお話だったと思います。もし、ご自身の進む道に迷われることがあったら、ぜひ河野さんのご経験を思い出してみてください。(遺伝性疾患プラス編集部)

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