「病気を理由に夢を諦めないで」、マルファン症候群の医学生が伝えたい思い

遺伝性疾患プラス編集部

岩佐さん(男性/25歳/マルファン症候群患者さん)

岩佐さん(男性/25歳/マルファン症候群患者さん)

14歳から脊柱側弯症(せきちゅうそくわんしょう)の症状が現れ、「マルファン症候群の可能性がある」と言われていたものの、診断を受けたのは17歳の頃。度重なる入院、手術を経験する中で、医師を志すようになった。浪人生活を経て、ついに医学部に合格。現在は、医学生として日々試験勉強や実習をこなし、医師になるために励んでいる。

 

岩佐さんTwitter:https://twitter.com/ksk97015245 


今回お話を伺う遺伝性疾患患者さんは、マルファン症候群をもつ医学生の岩佐さんです。マルファン症候群は、結合組織という細胞同士をつなぐ役割を持つ全身の組織が脆弱になることで、骨格の症状、目の症状、心臓血管の症状など、さまざまな症状が現れる遺伝性疾患です。岩佐さんは、背中の骨格が曲がる症状をきっかけに、高校生の頃にマルファン症候群と診断されました。症状に伴い、何度も手術や入院を経験するなかで「医師になって、自分も患者さんを助けたい」と考えるようになったという岩佐さん。しかし、難関の医学部に合格することは決して簡単なことでなく、さらに浪人生時代には度重なる入院生活により、思うように勉強できない時間を過ごしたこともありました。

そんな苦難の中、岩佐さんは、病気と向き合いながら、どのようにして医学部合格を勝ちとったのでしょうか?また、夢を叶えるためには何が大切だったのでしょうか?岩佐さんに、詳しくお話を伺いました。

マルファン症候群の診断を受け、「どうして自分が?」と頭が真っ白に…

どのような経緯でマルファン症候群と診断を受けられましたか?

14歳の頃に、背中が盛り上がるように曲がる「脊柱側弯症」の症状が現れ始めました。心配した母の勧めもあって受診したところ、「マルファン症候群の可能性がある」と医師から説明を受けたのです。しかし、その頃は、もちろん病気のことをよく知らなかったので、「そういう病気もあるんだな」と、あまり自分ごととして受けとめていなかったと思います。

その後、少し時間が経って、17歳になった頃にマルファン症候群だと診断を受けました。自分の家族や親戚に、マルファン症候群の患者さんがいたわけではなかったので、「どうして自分が…?」と、頭が真っ白になったことを覚えています。ぼくの場合は、親からの遺伝ではなく、自分で新たに生じた変異による発症だったようです。

医師からは、「脊柱側弯症の他にも、目の水晶体に異常が出たり、循環器系の症状が現れたり、これからさまざまな病気を併発します」という説明や、遺伝性疾患であるという説明を受けました。正直、このときはまだ、「自分が、遺伝性疾患のマルファン症候群と診断された」という現実を、どのように受け止めていいのかわからず、混乱していました。一緒に医師から説明を受けた母も、きっと同じ気持ちだったのではないかと思います。診断を受けた日は、母と二人で、不安な気持ちを抱えながら家に帰ったことを、いまでも鮮明に覚えています。

診断について「どのように受け止めていいのかわからなかった」という岩佐さん(写真はイメージ)
診断を受けた後、どのような治療を受けられていますか?

脊柱側弯症に対する手術は、これまでに何度も経験しています。背中を固定するためにシャフトという器具を体に入れているのですが、このシャフトが負荷により折れてしまうことを繰り返しており、現在も治療を受けています。

また、大動脈解離と弁膜症という血管の症状も現れています。そのため、定期的に通院し、経過を見ながら、将来的には手術を受ける予定です。

「自分も患者さんを助けたい」度重なる手術を乗り越えて、医学部に合格

医師を目指そうと思ったきっかけについて、教えてください

ぼく自身が何度も医師に助けてもらったように、今度はぼくが患者さんを助けたいと思うようになったことがきっかけです。特に大きかったのは、高校2年生の頃に受けた脊柱側弯症の手術ですね。当時のぼくは、脊柱側弯症により背中が変形し、ひどい痛みが現れていました。痛みによって長時間座っていることが難しく、高校の授業を受けることもできなくなり、徐々に学校も休みがちになって…気付けば、1日のほとんどを、自宅のベッドで横になって過ごさなければならない状態になっていたんです。そこで、全ての背骨をシャフトで固定するという手術を受けることになりました。この手術は1日がかりの大手術で、朝から手術室に入って、麻酔から目が覚めたら夜になっていました。

この手術を受けたことにより、背中の変形が改善されて、自分でもビックリするくらい痛みを感じなくなり、以前のように高校に通えるようになったんです。「医学って、本当にすごいんだな」と、まさに自分のからだで実感した瞬間でした。そして、「こんな風に、ぼくも誰かを助けることができたら…」と考えるようになりました。

 

高校2年生の頃に受けた脊柱側弯症の手術が医師を目指すきっかけに(写真はイメージ)
病気を抱えながらの医学部受験で、最も大変だったことはなんですか?

ぼくは高校を卒業後、浪人生となって受験勉強を続けており、そのときに良い体調を保ちながら勉強を続けることが本当に大変でした。例えば、勉強時間を多く確保するために睡眠時間を削るなど、ついつい体に負担をかけてしまうときがあって…そのことも影響したのか、持病のアトピー性皮膚炎の症状が悪化してしまったんです。そこから、感染症にかかるなどして入院が必要になることが何度かありました。その他にも、脊柱側弯症の症状が腰などの背中以外の部分にも現れるようになり、新たに骨を固定する手術を受けなくてはいけませんでした。このように、何度も手術や入院が必要になり、思うように勉強できない時間が増えていったんです。当時は、浪人生というだけで高校生の頃よりも受験へのプレッシャーが大きかったのに、さらに、病気の影響で勉強できていない自分がいて…焦る気持ちだけが、どんどん大きくなっていきました。いま振り返っても、本当につらい浪人生活でした。

一方で、このつらく大変な浪人生活を経験したからこそ、「絶対に医師になる」という強い意志を持つことができたのではないか、とも思うんです。

大変な浪人生活の中で、なぜ「絶対に医師になる」という強い気持ちが生まれたのですか?

入院によって、嫌でも勉強から離れて自分と向き合う時間が増えたからだと思います。そのなかで、「自分は、どうして医師を目指しているのか?」と、何度も自問しました。その結果、「やっぱり、ぼくは医師になって患者さんを助けたい」と心から思えたんです。だから、退院してからも、受験勉強を頑張り続けることができたのかなと思います。入院生活がなくて、ずっと勉強に没頭できる環境だったら、ここまで自分の夢について深く考えなかったんじゃないかと思います。

実は、浪人生の頃、何度か医学部受験を諦めかけたこともありました。そんな自分の姿を見た親が心配して「医学部じゃない学部の受験も考えてみたらどう?」と、言ってくれたこともありました。医療という広い範囲で考えたら、職業は医師だけでないですから。でも、そのときも、やっぱり「どうしても医師を目指したい」と思ったんです。ぼく自身、何度も手術で医師に助けてもらったので、今度は自分が、という思いをどうしても捨てきれなくて…。迷ったんですけど、最後は「医学部以外の学部に入学しても、一生後悔すると思う」と親に伝えて、医学部を目指すことを決意しました。無事に、医学部に合格できたときは本当に嬉しかったです。

苦しむ患者さんに、そっと寄り添うことができる医師を目指したい

医学生の大学生活は、勉強に定期試験に…と、大変なことも多いと思います。体調を崩さないように気を付けていることはありますか?

睡眠時間をしっかりとって、疲れを溜めないように気を付けています。特に定期試験期間中は、試験勉強のために、ついつい夜更かししそうになるのですが、ぼくの場合は夜更かしをすると体調を崩しやすいので注意しています。同級生には、試験の前日に一夜漬けして乗り切っている人もいるんですが…自分は自分、と割り切っています(笑)。ぼくの場合はむしろ、試験前はしっかり眠れるように、誰よりも早くから試験勉強をするように心がけていますね。授業が終わったらすぐに復習して、遅くても試験の一週間前からは試験対策を始めるようにしています。

将来は、どのような医師を目指したいと考えていますか?

患者さんと同じ立場に立ち、患者さんの苦しみを分かち合えるような医師を目指したいです。そう考えるようになったのは、これまでのマルファン症候群患者としての経験が大きく影響していると思います。

 

「患者さんの苦しみを分かち合えるような医師を目指したい」と、岩佐さん

ぼくは、マルファン症候群と診断を受けたとき、とても苦しかったんですね。「頭が真っ白になるって、こういうことなんだ」と、身をもって感じました。診断を受けた高校生の頃は、病気に関する知識が無かったこともあって、「この先、自分はどうなるんだろう」という漠然とした不安が常にあったんです。「絶望って、こういうことなのかな…」と、感じていました。

だから、自分のように苦しむ患者さんを一人でも減らすことができたら、と考えています。患者さんは、病気の診断を受けるとき、少なからず動揺したり、悲観したりするのが当たり前だと思うんですね。患者としての苦しみも経験してきた自分だからこそ、苦しんでいる患者さんに、そっと寄り添うことができる医師を目指したいんです。

診断を受けての苦しい経験を経て、岩佐さんはどのようにして病気と向き合えるようになったのですか?

…正直、病気とちゃんと向きえ合えるようになるには、ものすごく時間がかかりました。もしかすると、今も、心のどこかに、病気と向き合えていない自分がいるのかもしれません。もちろん、診断を受けた直後のように、自分がマルファン症候群であることに対して絶望するということはなくなりました。ただ、自分が「遺伝性疾患のマルファン症候群」ということは、限られた人にしか伝えられていません。でも、今はそれでいいのかなと思っていますね。自分の病気のことは、伝えたいと思う人に伝えたらいいと思っています。

あとは、将来、自分が医師になって患者さんと向き合うときがきたら、場合によっては自分の病気のことを患者さんにお伝えするかもしれません。例えば、診断を受けて苦しんでいる患者さんに対してですね。苦しんでいる患者さんが少しでも前を向けるようになるなら、ぼくの病気のことや、これまでの経験をお伝えしたいと思っています。

ぼくは、できれば患者さんには、病気に対して悲観的にならずに、やりたいことや興味のあることにどんどんチャレンジして欲しいなと思うんです。これは、病気の症状にもよると思いますし、すべての患者さんに求めるのは難しいかもしれません。でも、ぼくが病気によって何度も入院や手術を繰り返しながら、医師を目指した経験を知ってもらって、少しでも患者さんが前を向いてくれたらうれしいですね。

遺伝性疾患患者だからこそ、自分の人生をわがままに生きて

夢をあきらめないために大切なことは、どのようなことだと思いますか?

一番大切なことは、「自分が夢を叶えている姿を想像する」ことだと思います。そして、夢を叶えて、具体的にどんなことをしたいのかを考えることも、夢を叶える原動力になるのではないでしょうか。

ぼくも、医学部合格を目指していた浪人生の頃、入院や手術で何度も心が折れそうになりましたが、医師になって患者さんに関わる自分の姿を想像して、最後まで頑張ることができました。そして、自分のように苦しい経験をしている患者さんを助けたいという思いがあるから、いまも医師になるために頑張り続けることができているのだと思います。

「自分のように苦しい経験をしている患者さんを助けたい」という思いで、頑張り続けられる
最後に、同じ遺伝性疾患患者さんにメッセージをお願いいたします

遺伝性疾患を理由に、きっと、つらい経験をする患者さんも多くいらっしゃると思います。でも、だからこそ、遺伝性疾患患者さんには、自分の人生をわがままに生きてほしいです。病気を理由に、自分の夢を妥協したり、諦めたりしないでほしいです。つらいことも多いのかもしれませんが、遺伝性疾患であることを自分のアイデンティティの一つだと感じられるようになると、より広い視野で、この世界を見ることができるのかもしれません。

…と、色々語りましたが、ぼくも診断を受けた直後は、マルファン症候群のことをとてもアイデンティティの一つだと考えられませんでした。少しずつ病気のことを受け入れられるようになったのは、浪人生の頃からだと思います。

自分の場合は、「そもそも、ぼくは医師に向いているんだろうか?」と考えることが何度かありました。浪人生の頃は、入院を繰り返していたこともあり、親からは体調面でも心配されていましたからね。そんなとき、ふと思ったのが「マルファン症候群のような遺伝性疾患を抱えていることは、医師になったときに強みになるのではないか?」ということだったんです。遺伝性疾患患者で、患者さんの苦しみに寄り添えることができる医師って、きっと、なかなかいないだろうなと…。だから、医師に「向いている」とか「向いていない」ではなくて、ぼくだから目指せる医師の在り方があるんじゃないかな、と考えられるようになりました。

もし、自分がマルファン症候群患者でなくて、何の病気もない健康な高校生だったら、そもそもぼくは医師を目指していなかったかもしれません。そう考えると、自分がマルファン症候群になったことは、意味のあることなのかもしれない、と思います。


 

自分がマルファン症候群だと知ったときは、「絶望した」という岩佐さん。でも、そこから少しずつ前を向いて、医学部の受験を乗り越え、現在も医師国家試験に向けた勉強など、さまざまなことに挑戦し続けています。また、「遺伝性疾患患者さんには、病気を理由に、自分の夢を諦めないでほしい」と語ってくれた姿からは、力強ささえ感じました。

遺伝性疾患により直面している課題が理由で、夢を諦めるべきか悩んでいる患者さんもいらっしゃるかもしれません。岩佐さんのお話が、そんな患者さんの新しい一歩を踏み出すきっかけになってくれたら、嬉しく思います。(遺伝性疾患プラス編集部)

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