30代でミトコンドリア病の診断、病気の発信を始めて見えた「新しい生き方」

遺伝性疾患プラス編集部

城 マリカさん(女性/43歳/ミトコンドリア病患者さん)

城 マリカさん(女性/43歳/ミトコンドリア病患者さん)

難聴、疲れやすさなどの症状が現れ、35歳の時にミトコンドリア病リー脳症と診断を受ける。

2021年9月から、動画を通じて病気の発信を始める。

 

Twitter:https://twitter.com/neko_mugiyuzu

YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCAaUQkR7ms6e633YNhHevIQ

細胞内にあるミトコンドリアという小器官のはたらきが低下することで生じる病気を、総称して「ミトコンドリア病」と言います。ミトコンドリアのはたらきの低下は、全身のさまざま細胞に影響する可能性があります。そのためミトコンドリア病では、脳の神経細胞への影響により「見る」「聞く」といった力が低下したり、筋肉の細胞のはたらきへの影響により運動能力が落ちたり、疲れやすくなったりするなど、全身にさまざまな症状が現れます。

今回お話を伺ったのは、35歳の時にミトコンドリア病リー脳症と診断を受けた城マリカさん。確定診断を受けるまでに5年かかり、病気が明らかになった後も、さまざまな出来事によって精神的な不調が起こりました。特に難聴の症状により、生きがいだったピアノを楽しめなくなったことは、城さんの生活にとって大きな打撃となりました。

そこから、5~6年の月日を経て、2021年からYouTubeチャンネルで自身の病気について発信を始めた城さん。そこに至るまでの経緯や、病気の発信を通じて今感じていることについて、詳しくお話を伺いました。

原因不明の疲労感や難聴…5年経ち、ようやく確定診断へ

ミトコンドリア病の診断に至った経緯について、教えてください。

原因不明の疲労感や難聴といった症状で病院を訪れた当初、医師から「多発性硬化症の疑いがある」と説明があったものの、5年ほど診断がつきませんでした。症状が続く中、なかなか確定診断に至らない状況に、当時は正直、嫌気が差していました。そうして、気持ちが徐々に塞ぎ込むようになっていったんです。やりたいことはたくさんあるのに、症状の影響で疲れて寝るだけの日もあり、理想と現実との差にイライラしていました。

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症状はあるものの、なかなか確定診断に至らなかった(写真はイメージ)

そこから、遺伝子検査をきっかけに確定診断を受けたのは35歳の時でした。今思えば、子どもの頃から疲れやすく、学校行事があると翌日から2~3日は必ず休んでいました。その頃からすでに、ミトコンドリア病の症状が現れていたのかもしれません。

遺伝子検査を受けたきっかけについて、教えて頂けますか?

まず、ミトコンドリアが正常に働いているかの指標となる「乳酸」と「ピルビン酸」の値に関する検査を受けました。その検査結果で異常があり、筋生検を受けたんです。その後、医師から「遺伝子検査を受けてみませんか?」と話があり、検査を受けることに。遺伝子検査の結果、脳のMRIの結果なども踏まえて、ミトコンドリア病と確定診断に至ったと説明を受けました。

確定診断を受けた時は、どのようなお気持ちでしたか?

「精神的なもの」で片付けず、自分の症状と真剣に向き合ってくれた医師たちの存在に、心から感謝の気持ちでいっぱいでした。また、病気がわかったことで「やっと正しい治療を受けられる」と、すっきりした気持ちもありました。

私は、「原因不明」の状態がつらかったので、診断がついて本当にうれしかったですね。主治医との出会いも含めて「良かったね」と、家族と話したことを覚えています。

主治医の先生とは、どのような出会いだったのですか?

今の主治医は、検査を受ける中で出会った先生です。初めて会ったのは、病院の待合室で心電図検査の順番を待っている時でした。打診器のハンマーを持って現れたのが、今の主治医です。このハンマーは、腱反射の診断に用いるもので、私も腱反射の具合を診て頂きました。この時、先生は無言でうなずき去って行ったので、第一印象は「この先生、なんか怖い」だったと思います(笑)。

その後も、入院時や検査の際によくお会いするようになりました。また、「難病が得意分野」と伺ったこともあり、自然と「この先生に診てもらいたい」と思うようになったんです。当時の外来担当医が異動になるタイミングで、自分から「次からは、先生にお願いしたい」とお伝えしたところ、「僕もそのほうがいいと思います」と言って頂き、正式に主治医になりました。

現在は、ミトコンドリア病の症状に対してどのような治療を受けていますか?

私は軽症なので、それほど合併症は多くありません。そのため現在は、頻脈を抑えるための薬、めまいを抑えるための薬、コレステロールを下げる薬、腹痛を改善するための整腸薬、また、必要な時だけ使用する頓服の鎮痛薬、ステロイド薬を処方されています。

その他、貧血になった時の鉄剤、ごはんを食べられない時の漢方薬なども時々処方されます。現在は、定期的に血液検査・視野検査・MRI検査を受けて、経過を見てもらっている状態です。

難聴で「生きがい」を失い、どん底も経験

確定診断後、気持ちの変化はありましたか?

確定診断を受けてホッとしたものの、その後、精神的な不調を抱えるようになりました。ミトコンドリア病の症状により、自分の好きなことを満足にできない状況に対して、徐々にストレスを感じるようになったことがきっかけです。

特に、難聴になったことで、大好きなピアノを楽しめなくなったことは大きな出来事でした。「ピアノを弾くこと」や「ピアノ演奏を聴くこと」は、私にとって生きがいそのものだったんです。今は補聴器をつけていますが、音程が正しく聞こえないため、以前と同じようにピアノを楽しむことができなくなりました。生きがいを失ったことで、人生から彩りがなくなったような喪失感を覚え、それはいまだに残っています。

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「ピアノは、生きがいそのものだった」と、城さん(写真はイメージ)

のんびり楽しんでいたバレエ教室へ通えなくなったことも、拍車をかけました。大好きな読書も、数ページ読んだだけで疲れてしまい、一人分の食事を食べきることもできない状況となり、楽しくて8年続けた飲食店のアルバイトも辞めることになりました。

また、もともとよく寝るタイプではありましたが、ミトコンドリア病と診断が確定してからは、一日中眠く、布団の中で過ごすことが多くなりました。病気のことを知らない人からすると、「ただの怠け者」と思われても仕方ありません。実際に、事情を知らない方から「そんな状態じゃ“役立たず”だね」と言われたことがあり、その言葉を思い出しては泣いていました。

こうして、頭ではミトコンドリア病によるものだとわかってはいても、「自分は寝ているだけで“役立たず”だ」と思うようになっていきました。次第に、人と会うことを避けるようになり、母との会話も減っていったんです。

さまざまな出来事が、次第に城さんを追いつめていったんですね。

そうですね。ただ、主治医から勧められて精神科へ通院するようになったことや、自宅に猫たちを迎えたことをきっかけに、今では少しずつ回復しています。徐々に、起きていられる時間も増え、以前より楽しく過ごせるようになりました。

一緒に暮らす猫たちは、城さんにとってどのような存在ですか?

可愛くて仕方ない、癒しの存在です。精神的な不調により寝込んでいた時期、母が「猫を飼おうか」と提案してくれたことをきっかけに、動物愛護センターから迎えました。体調が悪い日であっても、猫のトイレや飲み水のお世話は欠かさず行います。今では家族と同じくらい、大切な存在になっていますね。

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城さんと、一緒に暮らす猫

コロナ禍により、難聴でのコミュニケーションはより難しく

難聴により、ピアノを楽しめなくなったというお話がありました。その他、日常生活ではどのようなことにお困りですか?

日常生活では、人との会話に苦労します。音そのものは聴こえても、言葉を聞き取るのが難しいからです。特に、今はコロナ禍により、皆さんマスクをしているので、唇の動きを読むこともできません。筆談をお願いできないシチュエーションなどで、これからも苦労することは多いと思います。

その他、YouTubeの動画を見る時は、最低限の字幕表示がないものは視聴できません。テレビは、必ず字幕を表示して見ていますが、字幕対応していない過去の番組などは視聴が難しいです。

お仕事については、いかがですか?

幸い、今は仕事をしなくても家に居続けられる状況です。ただ、将来的に働かなくてはならなくなった場合、耳が聴こえなくてもできる仕事がどのくらいあるのか…と考えると、不安になります。今後、難聴がある方への就労支援が充実することで、将来への不安も少なくなるのではないでしょうか。

病気の発信によって、当事者とのつながりも

これまでは、どのような動画を発信してきましたか?

以前は、ピアノの演奏動画を発信していました。ピアノを弾くことが本当に好きだったので、発表会のように、練習した成果をいろいろな人に聴いてほしかったからです。感想をもらえた時は、本当にうれしかったですね。

動画でご自身の病気について発信しようと思ったきっかけについて、教えてください。

難聴により、ピアノ演奏動画を発信できなくなった分「持病のある暮らしの動画を、発信しよう」と思ったことが、きっかけでした。

精神的な不調が大きく現れていた時期に、SNSを全て退会するなどして、インターネットと距離を置いたことがありました。精神科の主治医から、「インターネット利用を控えましょう」と話があったためです。そのため、YouTubeも6~7年放置していたんです。

そこから、ようやく精神的にも安定して「インターネットを再開してもいいかな」と思うようになりました。久しぶりにYouTubeチャンネルを開いたところ、なんと登録者が倍に増えていたんです。そういったこともあり、病気に関わる情報の発信を決意しました。

発信を通じて、印象的だった出来事はありましたか?

「持病のある暮らし」動画の第1回目を、想像以上に多くの方々に見て頂けたことです。こんなに反応を頂けると思っていなかったので、驚きました。

また、ミトコンドリア病の家族を持つ方や他の難病の方からも、共感の声や励ましの言葉が届いたことがうれしかったですね。皆さんも、きっと大変なことを抱えていると思うのですが、そんな中でも、自分の動画へ反応を頂けたことがうれしかったです。

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城さんのYouTubeチャンネルより
病気に関わる発信を続けていて良かった、と感じる瞬間はどのような時ですか?

一番は、同じように病気のある方やそのご家族から、反応を頂けた瞬間ですね。

同じミトコンドリア病でも、症状の種類や重症度などは人それぞれ異なります。そのため、「ミトコンドリア病って、どんな病気?」を具体的にイメージすることは難しいと感じていました。ですので、自分の動画で当事者のリアルな生活を知って頂くことで、「知らない」という不安の軽減につながれば、と考えています。

実際に、ご家族がミトコンドリア病の診断を受けて不安を感じておられる方から「動画を見ました」とコメント頂いたり、「ごはんを食べられないのって、つらいですよね」と共感頂いたりなど、さまざまなコメントを頂きます。何より、コメントを書く手間を惜しまず反応してくださる皆さんの気持ちがうれしいですね。これからも、皆さんと一緒にこの動画チャンネルを育てていけたらと思います。

今後、動画を通じて、どんなことを発信していきたいですか?

これからも「持病のある暮らし」をテーマに、日常の一コマをそのまま発信していきたいです。ピアノを諦めた今、自分が次にどんな趣味を楽しんでいるのかといった内容や、他にもさまざまな暮らしの一部を動画で発信していきたいですね。

無理に頑張らなくていい。時間がかかっても、きっと大丈夫

遺伝性疾患プラスの読者にメッセージをお願いいたします。

ある日突然、自分自身が病気になったり、ご家族が病気になったりすると、不安になり、気持ちが沈むこともあると思います。私もそうだったように、それは自然なことだと思いますし、「明るい気持ちにならなくては」と、無理に頑張らなくていいことを知って欲しいですね。また、病気が「遺伝性」という事実に、自分を責めてしまうご家族もいらっしゃるかもしれません。でも、ご家族は何も悪くありません。そのことも、あわせてお伝えしたいです。

私の場合は、病気により、生きがいだったピアノを諦めることになりました。ただ、今思うのは「世の中には、他にも楽しいことが結構ある」ということです。動画での情報発信も、そのひとつです。時間がかかっても、きっと何とかなります。大丈夫。私自身、今は何とか楽しく生きていますから。

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「世の中には、楽しいことが結構ある」と、城さん(写真はイメージ)

そして、最後に、治療薬開発への希望も捨てずに生きていきたいです。


ミトコンドリア病と診断を受けるまで、さまざまな苦労をされた城さん。診断後も、病気の症状により「生きがい」を諦めなくてはいけなかったり、事情を知らない方からの言葉に傷ついたりして、精神的な不調を抱えるようになりました。そこから、ゆっくりと視野を広げ、今では何とか楽しく生きているとお話してくださった城さん。そんな城さんだからこそ、「無理に頑張らなくていい」というメッセージが強く心に響きました。

病気と向き合う日々は、これからも、当事者やご家族にさまざまな出来事をもたらすと思います。どうしても心が沈んでしまった時は一度立ち止まり、城さんの言葉を思い出して頂けたらと思います。(遺伝性疾患プラス編集部)

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