今回お話を伺ったのは、神経線維腫症I型(レックリングハウゼン病、以下、NF1)を持つ大河内愛美さんです。NF1は、「カフェ・オ・レ斑」という、しみのような色素斑が皮膚に現れたり、「神経線維腫」という腫瘍が皮膚などに生じ大きくなったりするといった症状が現れる遺伝性疾患。症状により外見に変化が現れることもあり、患者さんのQOLにも影響を及ぼします。
病気の症状などを理由に、小・中学生時代にはいじめを受けた経験をお持ちだという大河内さん。苦しい日々の中でも前を向くことができたのは、「ガラス作家になる」という夢があったからでした。
そして、ついに夢を叶えてガラス作家になり、現在は病気を公表して活動を続けられています。病気を理由に苦しい経験もされた大河内さんが、なぜ今、NF1であることを公表したのでしょうか?また、次に叶えたい夢とは…?これまでのご経験とともに、詳しくお話を伺いました。
高1でNF1と診断、後に悪性末梢神経鞘腫瘍(MPNST)の合併も
NF1の診断を受ける前、病気を疑うような症状は現れていましたか?
主に、神経線維腫とカフェ・オ・レ斑が現れていました。カフェ・オ・レ斑は生まれた頃から、経線維腫は小学生の頃から現れていたと記憶しています。成長するにつれて、カフェ・オ・レ斑や神経線維腫が徐々に増えて、大きくなっていったため、どちらも取りたいと思っていました。
その後、インターネットで症状を検索していた際に、たまたまNF1について書かれている記事に行きついたんですね。その時に、「自分は、この病気なのかな?」と思ったんです。そのことをきっかけに病院を受診し、大学病院で診断を受けました。母と一緒に、医師から説明を受けたことを覚えています。
診断を受けた時、どのようなお気持ちでしたか?
「やっぱり」という気持ちでしたね。NF1の可能性を疑って受診していたので。
NF1が遺伝性疾患であることを知ったのは、診断を受けてからです。将来、もし自分が結婚することになったら、自分の子どもに病気が遺伝する可能性があると知って、複雑な心境になりました。事前にNF1のことを調べていたものの、当時は、まだ高校生だったこともあり、病気に関する情報をしっかりと集めていなかったんです。「病気の名前と症状は、何となく知っている」程度で診断を受けたため、「これから、自分はどうなるのかな?」と、不安な気持ちになりました。
その後、月日が流れて、悪性末梢神経鞘腫瘍(MPNST)の合併を診断されたと伺いました。その時は、どのようなお気持ちでしたか?
とにかく、不安でいっぱいでした。また、それまで「NF1は、命に関わらない病気」と思っていたので、「悪性腫瘍」という事実に驚きを隠せませんでした。病気のリスクについて正しく理解することは、本当に大切だと思います。
実は、高校卒業後、大学や仕事の忙しさもあって、定期健診からしばらく足が遠のいていたんです。神経線維腫を取るためにクリニックへ通っていた時期もありましたが、専門医の元へ通院するようなことはしていませんでした。
それが、仕事も独立して忙しくなっていた2~3年ほど前に、腰の辺りに痛みが現れるようになったんです。その痛みは、日に日に増していき、痛みで眠れないときがあったり、車の運転中に現れるときもあったりしたほどです。それでも、忙しさを理由にしばらく放置していたのですが、痛みを感じる場所の近くに神経線維腫があったことから「この痛みとNF1は、関係あるのかな?」と心配になって大学病院を受診しました。そこで、MRI検査、生体検査(生検)を受けてMPNSTと診断されたんです。
「今すぐ、手術しないといけません」と医師から説明を受け、2020年の3月に手術を受けました。当時、すでにMPNSTが脊椎(せきつい)を圧迫しているような状態だったそうです。手術後は、転移や再発の恐れがあったため、放射線治療も受けました。
また、このときの手術で、背骨にボルト7本を入れており、固定のためにコルセットをつけ続けています。コルセットはいずれ外れる予定ですが、今はまだコルセットを外せない生活が続いているため不自由も多いです。通院を続けながら、何とか生活しています。
「これだ!」と直感したガラス作家への道
ガラス作家を志されたきっかけについて、教えてください。
きっかけは、小学6年生の時に見たテレビ番組でした。その番組で紹介されていたガラス作家という職業に心引かれ、幼心に「これだ!」と直感したんです。小学校の卒業文集にも、「ガラス作家になりたい」と書いていたほどでした。
その後、中学校1年生の夏休みに吹きガラスの体験をしたことで、自分の中ではガラス作家になることを決心。その時はまだ中学生でしたが、すでにガラスを学ぶことができる大学を自分で探し、志望大学を決めていました。当時、家族も「夢は、いつか変わるだろう」と思っていたそうですが、そこからはガラス作家まっしぐらの人生を歩んでいます。
中学生の頃にすでに志望大学を決められていたほど、固い決意だったんですね。念願の大学生活はいかがでしたか?
「やっとガラスを学べる!」という気持ちで、思う存分ガラスと向き合った大学生活でした。シンプルに、大学が楽しくて仕方なかったです。実は、病気の影響もあって、小・中学生時代はいじめを受けた経験があり、決して楽しかったとは言えない日々でした。それが、大学生になって、やっと自分の好きなガラスと向き合えるようになったことは本当に大きかったです。
大学卒業後は、愛知県の瀬戸市新世紀工芸館で制作活動を続け、その後、独立することとなりました。
特に思い入れのある作品と、その理由について教えてください。
代表作品である『海月(くらげ)の住む世界』と『みなも』です。この作品の発信を通じて、さまざまな人とつながることができたからです。なんと、憧れの俳優にもお会いすることができました。
「自分から発信することで、相手に想いが伝わる」と知った経験は、大きかったです。この経験から勇気をもらった私は、自分の病気を公表して活動することを決意しました。
病気を公表しての活動を決意
NF1を公表して活動することに対して、怖さはありましたか?
はい、正直、怖さはありました。病気を公表することで周りの方々がどのような反応をするのか、気になりましたので。「今まで友だちだった人が、病気の公表をきっかけに離れていくのではないか?」といった、さまざまな不安に苛まれました。
小・中学生時代のいじめもそうですし、病気を理由に、これまで嫌な思いをたくさんしてきました。それだけに、病気を公表することは、とても怖かったです。
それでも、病気を公表することを決意したのはなぜですか?
「自分の発信で救われるNF1患者さんもいるかもしれない」と、思ったんです。私自身が、患者さんの発信に救われたこともあったので、「今度は自分が」という思いで公表を決意しました。
また、自分の発信をきっかけに、NF1という病気を多くの方々に知ってほしいという思いもありました。私は、ガラス作家として「名前」「顔」を出して活動しています。自分の活動が世間に知られるようになれば、もっとNF1への理解も広まるのではないかと考えました。病気への理解が広まることで、自分が幼少時代に経験したような嫌な思いをする患者さんが、少しでも減ってほしいという願いもあります。
その他、NF1について、「正しく知ってほしい」という思いもありました。症状が軽いといった理由から、まだ確定診断に至っていない患者さんが、自分の発信を通じてNF1を知ってもらえたらとうれしいですね。自分自身がそうでしたが、正しく病気を知り、定期健診を受け続けていたら、もっと早く合併症の診断を受けられていたかもしません。女性であれば、乳がんのリスクの高さなども知られていますし、そういったリスクを正しく理解し、病気と向き合っていってもらえたらと思うのです。
NF1を公表したことで「良かった」と感じたのは、どのようなことですか?
思っていたよりも、周りの方々が温かく受け入れてくれたことです。あとは、新しく知り合う方々も、最初から自分がNF1という病気を持っていることを知っていることが多くなったので、気持ちの面でも楽になりました。
発信を始めて、「自分も同じ病気です」「発信に救われました」といったご連絡を直接頂く機会も増えました。その温かい言葉に、私自身が勇気をもらっています。皆さんとのやり取りがあって、「自分もちゃんと病気と向き合おう」と前向きに考えられるようになってきた、とも感じています。
病気のことを友だちやパートナーに伝える際に、大河内さんが思う「気を付けるべきポイント」はどのようなことでしょうか?
当事者が病気をどのように受け止めているか、によると思います。正解はないと考えますが、例えば、私はいま病気に対して「ポジティブ」に考えるよう努力しています。「ポジティブ」な考えを持って相手に話したほうが、病気のことが伝わりやすいかな?と考えているためです。場合によっては、相手が「どのような病気なのかな?」と興味を持ってくれるかもしれません。
一方で、病気に対して「ネガティブ」に考えている場合には、きっと、重い雰囲気とともに相手に伝わると思うんです。その場合、「ここから先は、触れてはいけないのかな」と相手に受け取られる可能性があるかもしれません。それって、すごくもったいないことだと思うんですね。
また、私の場合は、相手に伝えたいことは文章に起こして伝えるように気を付けています。相手に、直接話して伝えることに対して、少し苦手意識があるからです。そのため、これからも、ブログやSNSなどを通じて発信していきたいと思います。
次の夢へ。活動を通じてNF1の認知度を高めたい
最後に、同じ遺伝性疾患患者さんにメッセージをお願いいたします。
NF1の患者さんの場合は、症状による「見た目の悩み」をお持ちの方が多いのではないかと思います。私自身、とてもコンプレックスを持っています。そういった見た目の症状や遺伝性疾患であることを理由に、時に、差別をしてくる人たちに出会うこともあるかもしれません。もし、そういった方々に出会った場合には、なるべく相手にしないことが良いと考えています。私も、そういった方々に出会った際には「かわいそうな人だな」と考え、相手にしないよう心がけています。
また、病気とともに生きていくために、病気を正しく理解することが大切だと思います。私の場合は、忙しさなどを理由に通院できていなかった時期に、合併症を患いました。そのため、医師の診察を受け続けることが大切だと感じていますし、NF1患者さんには、特に定期健診の大切さを知って頂きたいです。
最後に、私はこれからもガラス作家として表に立ち続けたいと思います。多くの方々に作品を届けることはもちろんですし、私の次の夢は、自分の活動を通じてNF1の認知度を高めることです。認知度の高まりが、結果的に、NF1の新しい治療の開発にもつながることを願い、これからも活動を続けていきます。
大河内さんは、小学6年生の頃から「ガラス作家」になるという夢を持ち、ひたむきに夢と向き合ってきました。それと並行して、病気を理由に苦しい経験も多くされてきたからこそ、NF1を公表することは決して簡単なことではなかったと思います。それでも、病気について発信することを決意された背景には、同じNF1患者さんへの想いがありました。
次の夢は、「活動を通じてNF1の認知度を高めること」と笑顔で話してくださった大河内さん。ガラス作家としての活躍ももちろん、NF1を持つ当事者としての発信にも期待が寄せられます。(遺伝性疾患プラス編集部)