網膜色素変性症とともに―パラアスリートとしての「生きる道」

遺伝性疾患プラス編集部

富田宇宙さん(男性/32歳/網膜色素変性症患者さん)

富田宇宙さん(男性/32歳/網膜色素変性症患者さん)

16歳・高校2年生の頃に、網膜色素変性症の診断を受ける。

東京パラリンピック金メダル候補のパラ競泳アスリート。400m自由形全盲クラス(S11)のアジア記録保持者。

Twitter:https://twitter.com/UchuTomita

Instagram:https://www.instagram.com/uchu_tomita/

今回お話を伺ったのは、網膜色素変性症をもつ富田宇宙さん。網膜色素変性症は、暗いところでものが見えにくい(夜盲:やもう)、視野が狭い(視野狭窄)、視力低下といった症状が数年~数十年かけてゆるやかに進行する遺伝性疾患です。

診断を受ける前、学校で黒板の文字が見えづらいと感じるようになったという富田さん。その他にも、運動中に投げられたボールをうまくキャッチできなかったり、天体観測の際に星座がうまく見つけられなかったり、といった症状が現れていたそうです。その後、16歳だった高校2年生の頃に、網膜色素変性症と診断されました。

大学進学後は競技ダンスを始め、全日本学生選抜競技ダンス選手権大会に出場するなど活躍。その後、症状の進行とともにパラ競泳へ転向されました。2019年には世界パラ競泳選手権で2つの銀メダルを獲得するなど、大活躍されており、東京パラリンピック金メダル候補としても期待される富田さん。これまでのご経験や、東京パラリンピックへの意気込みなどについて、お話を伺いました。

網膜色素変性症と診断、これからの生き方は…?

診断を受けた時、どのようなお気持ちでしたか?

「目が見えなくなる」ということを全く想定していなかったので、頭が真っ白になりました。悩むことすらできないような状態が、しばらく続きましたね。

そこからは、網膜色素変性症がどのような病気なのかを調べるなどして、自分のこれからの生き方について考えなくてはいけませんでした。

病気について、ご家族とはどのようなお話をしましたか?

親もとてもショックを受けていて、障害について話をする段階になるには少し時間がかかりました。遺伝性の疾患が原因で僕が障害を負ったという事実に対して、親は大きな責任を感じていたため、「障害を持たせてしまって、すごく申し訳ない」ともらしていました。網膜色素変性症の診断を受けてから、ただただ、お互いに暗い気持ちを抱える期間が続き、時間を経て少しずつ今後について話せるようになっていった、という感じです。

例えば、「同じ病気の人は、どういう仕事をしているのか?」「目が見えない人は、どうやって生活をしているのか?」といった情報を調べながら、進路や将来について言葉を交わしていきました。

社会人生活を経て、本格的にパラアスリートの道へ

大学入学後、競技ダンスを始めたきっかけについて教えていただけますか?

大学で偶然勧誘を受けて見学しに行ったところ、ダンスがとてもかっこよくてすぐに入部を決めました。元々、大学では演劇をメインにやるつもりだったのですが、視覚障害の影響で、できないことがいくつかあり、本格的にやっていくのは難しいと感じていました。

実際にダンスをやってみると、すごく奥深い競技で、すぐにのめり込みました。当時の見え方では演劇よりもハードルを感じにくかったことも、演劇よりもダンスを選ぶ要因になりました。

社会人としてスタートされた頃に「偏見を感じるようになった」とのことですが、当時の状況について教えてください

大学生の頃は白杖(はくじょう)を使っていませんでした。徐々に症状が進行して、ちょうど社会人になる頃に白杖を持つようになったんですね。白杖というシンボリックなアイテムを持ち歩くようになったことで、視覚障害者に対する社会の偏見を明確に感じるようになりました。

Rp 01
白杖を持ち歩くようになり、視覚障害者に対する社会の偏見を明確に感じるようになった。(写真はイメージ)

まず、「白い杖をついている人だ」と、周囲からじろじろ見られるようになりましたね。当たり前のことですが、白杖をついて歩くようになると、周りの人は、自分のことを「視覚障害者だ」と捉えます。白杖を持っていなかった頃は、周りの人から障害者だと気付かれることはほとんどなかったので、偏見を感じることはなかったんです。それが、白杖を持ったとたんに、周りの人からの扱いが変わったと感じました。

初対面の人と話すときに、「視覚障害の人」として話をされるようになりました。例えば、「文字は点字で読むんですよね?」「ご飯は、どうやって食べているんですか?」など、それまで言われたことのなかった質問を投げかけられるようになりました。白杖を持った瞬間から、実際の自分とはかけ離れた存在として扱われるような感覚でしたね。

仕事の傍ら、障害者の水泳クラブに参加されるようになったそうですが、多様な障害を持つスイマーたちとの出会いは、富田さんにどのような影響を与えましたか?

気持ちが、少し楽になりました。その水泳クラブで、自分より重度の障害の方も含めて、様々な障害の方に出会ったことで、自分の障害も特別なことではないと思えるようになったんです。

また、その頃、症状の進行により、健常者の中で競技ダンスを続けることが難しくなってきたため、障害者としてできるパラスポーツを探していました。パラ競泳の他にも、ブラインドマラソン(視覚に障害がある方のマラソン)など、さまざまなスポーツを試していました。

そこから、徐々に水泳の練習を本格化していきました。「真剣に水泳に挑戦しよう」という気持ちになったきっかけは、2013年に東京パラリンピックの招致が決まったことですね。当時は、仕事をしながら選手をしていたので、朝から公園などで陸上トレーニングを行い、日中はシステムエンジニアとして仕事をして、夜に泳ぎに行って…という生活でした。

そうやって少しずつ記録を伸ばし、2015年に日本代表の強化選手に選ばれたことをきっかけに、現在所属しているEY Japanにアスリートとして入社しました。そこから、本格的にパラアスリートの道を歩むことになりました。

Rp 02
2015年に日本代表の強化選手に。そして、本格的にパラアスリートの道へ。

活躍しつつパラアスリートの未来につながる研究も実施中

2020年に新型コロナウイルスの感染拡大が始まったことで、競技活動にどのような影響がありましたか?

東京の練習拠点が閉鎖になった際に、一時、地元の熊本へ帰郷しました。練習環境が変わったという点では、影響がありましたね。また、これまでのように海外遠征に行くことができなかったり、合同合宿ができなかったりといった影響はありました。

ただ、そういう状況でも悲観的になるのではなく、常に「今の状況で、どうすればより良い練習ができるか?」を考えて行動していました。

東京パラリンピックの延期は、どのように受け止められましたか?

新型コロナウイルスの影響ですから、仕方ないと思いました。開催がいつになったとしても、自分が練習することには変わりありませんからね。

東京パラリンピックの延期は、アスリートやそれを支える人たちにとって必ずしも悪いことだけではありません。東京パラリンピックが終わってしまえば、関連する世の中の盛り上がりも終わります。「パラバブル」という言葉もあるくらいです。東京パラリンピックが終わることで、お金の流れも止まってしまうことが懸念されているんです。そのため、開催の延期は、パラリンピックのムーブメントを維持するチャンスを得たという意味では、良い側面もあると感じています。

まずは、2021年5月に開催予定の、東京パラリンピック日本代表選考会で派遣標準記録を突破することを目標に、練習を続けていきます。

Rp 03
東京パラリンピック日本代表選考会での派遣標準記録突破を目標に、練習を続ける。
競技活動と並行して、2017年には日本体育大学博士課程に入学されたと伺いました。どのような研究をされているのですか?

現在、日本体育大学大学院体育科学研究科コーチング学専攻に所属し、パラアスリートのコーチングについて研究しています。

近年、パラリンピックの競技レベルが上がってきており、パラアスリートの競技力が高度化したことで、求められる指導者像も変化してきているんですね。僕は、そういった指導者の育成にはどのような養成課程が必要なのかを研究しています。

もともと、パラリンピックはリハビリを目的に始められたものです。そのため、パラアスリートへの指導は、主に、理学療法士や特別支援学校の先生などが行ってきました。以前はそれでよかったのですが、パラリンピックがハイパフォーマンススポーツに変わってきたために、これまでの指導者では専門知識が追いつかない、という現象が生じているんです。競争の激しい、現在のパラリンピックでメダル獲得を目指すパラアスリートたちが、どのような指導者を求めているのかを、明らかにしたいと思っています。

自分の望む人生を歩んでほしい

最後に、遺伝性疾患患者さんやそのご家族へメッセージをお願いいたします。

遺伝性疾患は、当事者だけでなくご家族にとっても、心の痛む出来事を多くもたらす疾患だと感じています。

皆さん、「疾患とどう向き合っていけばいいのか?」ということはもちろん、「どのように生きていけばいいか?」といったことで、悩まれると思います。ですが、必ず、同じように悩んでいる人や、同じような状況で闘っている人たちがいます。ですので、そういう人たちと積極的につながり、いろいろな情報を得て、自分の望む人生を歩むきっかけにしてもらえればと思います。

Rp 04
「必ず、同じように悩んでいる人や、同じような状況で闘っている人たちがいます」と、富田さん

今の自分に残された可能性、今の自分にできることに焦点を当てて、それぞれの人生を良いものにできるよう、歩んでいきましょう。僕自身も、そうやって生きていけたらと思います。


今回、富田さんは、とてもお忙しい中で取材のお時間を取ってくださいました。2013年、東京パラリンピックの開催が決まったことなどをきっかけに、仕事をしながら、朝も夜もトレーニングを積み重ねられ、2015年には強化選手に。そこから、世界トップレベルの選手として、活躍されてきました。

東京パラリンピック開催を目前に、新型コロナウイルスの影響で練習環境の変化などありましたが、柔軟に対応されながら練習を続けていらっしゃいます。

今年、富田さんの活躍にますます目が離せません。(遺伝性疾患プラス編集部)

関連リンク