今回、お話を伺ったのは、球脊髄性筋萎縮症(SBMA)を持つ、久岡義夫さんです。SBMAは、男性のみに発症する遺伝性疾患で、発症年齢は30歳~60歳頃が多いと知られています。久岡さんが症状に気付き始めたのは、50歳代でした。
しかし、受診をして、診断を受けるまでには時間がかかったといいます。それはなぜだったのでしょうか?また、治療を受ける中で感じていることや、自身の病気について発信しようという考えに至った経緯は…?詳しくお話を伺いました。
症状が出始めた頃は日常生活に影響がないので通院せず、診断がついたのは70歳代だった
SBMAの症状に気付いた頃のことを教えてください
50歳半ば頃から、何かをするために手に意識を向けると、手が激しく震えるようになりました。例えば、宴会の席でお酌をしようとすると震えてしまう、逆にお酌を受けようとするとグラスを持つ手が震えてしまう、といったことが起こりました。この震えは、疲れたりすると出やすい傾向がありました。しかし、普通に生活するうえで不自由に感じることがなかったため、この頃は病院へ行こうとは考えませんでした。
しかしその後、歩いているときに膝がガクンと折れ、無意識のうちに転ぶようなことが何回かありました。顔から転んでけがをしたことや、眼鏡が壊れてしまったこともありました。また、食事の時に箸が使いづらかったり、手が震えて使い慣れたパソコンのマウスがうまく操作できなかったりというようなことも起こり始めました。同じころ、階段を上れなくなっていることにも気づき、やがて、手すりにつかまっても上れないほどになってしまいました。特に右足に力が入らなかったのを覚えています。こうなると、日常生活に支障があったので、2019年4月に、市内の総合病院の神経内科を受診しました。今思えば、自宅や職場に階段がなかったことなども、受診の遅れにつながっていたのだと思います。
日常生活に支障が出てきたため、受診したのですね。それから診断がつくまでどのくらいかかりましたか?
約2年かかりました。しばらく市内の神経内科に通っていたのですが、最初から担当してくださっていた先生は、大学病院から来られている先生だったんです。その先生に、ある日、「この病院では検査が十分にできないから、大学病院に来ますか?」と言われたので、それではということで、2020年12月、大学病院に移りました。
大学病院ではまず、神経伝導検査や針筋電図を受けました。その結果、筋委縮性側索硬化症(ALS)や脊髄性筋萎縮症(SMA)などが疑われました。2021年1月に上位運動ニューロンを調べるために頸椎のMRI検査を受け、変性や脱落が見られないという結果から、ALSの可能性が除外されました。その結果を聞いた同日、SMAの遺伝子検査のために採血が行われました。翌2月、SMAは陰性だとわかり、残る可能性として球脊髄性筋萎縮症(SBMA)が疑われていたため、同日、SBMAの遺伝子検査のための採血が行われました。そして2021年4月、遺伝子検査の結果、SBMAと診断がつきました。
診断がついた時、どのようなお気持ちでしたか?
段階的に検査を受けていっての診断だったため、結果は十分に想像が出来ており、動揺は、ありませんでした。また、検査開始から4か月余り経過していたこともあり、気持ちの整理もできていました。どちらかというと、診断がつく前の方が、あまり落ち着いた気持ちにはなれませんでした。疑われているさまざまな病気についてインターネットで調べれば調べるほど心配になってしまい、主治医の先生にいろいろ質問したのを覚えています。診断をしてくれた先生は、市内の病院での初診からずっと私を診てくれている、今の主治医です。診断結果は、主治医から私のスマホに直接連絡があり、知らされました。
診断を受けた時、ご家族とはどのようなお話をしましたか?
いま、妻と二人で生活をしています。そのほか、離れて暮らす娘が二人と、女の子の孫が一人います。私が直接、診断結果を伝えたのは妻で、娘たちには妻が電話やLINEで伝えました。妻は娘たちと毎日のように連絡を取っているので、検査の過程など随時伝えていたようです。そのため、「SBMAの診断がついた」ことについて、妻も娘たちもみんな冷静に受け止めていた様子でした。孫は私と誕生日が同じなのですが、その孫が「おじいちゃんかわいそう」と言っていたという風に聞き、孫はちょっと動揺していたのかなと思っています。
治療の副作用に悩まされる毎日、しかし運動を続け歩行距離が徐々に延長
現在、どのような治療を受けていますか?
SBMAと診断がついた1週間後から、リュープロレリン酢酸塩の皮下注射による治療が始まりました。12週ごとに大学病院へ行き、注射を受けています。そのほか、6週ごとに血液検査と診察を受けています。大学病院には、いつも自分で運転して行っています。自宅から片道1時間くらいの距離です。幸い、SBMAの症状は、車の運転には影響していません。
治療に関する悩みなどがあれば教えてください
初回の注射では、副作用など感じなかったのですが、2回目の注射を受けた1週間後くらいに、リュープロレリン酢酸塩の副作用と思われる「ホットフラッシュ」と「発汗」が突然やってきました。特に、夜半に起きることが多く、目が覚めてしまうため、常に睡眠不足気味です。今も続いているのですが、少し慣れてきた気がします。また、夕方1時間くらい寝て睡眠を補ったりしています。この副作用については、なにか良い対処方法をご存知の方がおられれば、教えて頂きたいと常々思っています。
それから、下腹部につらい痛みが起こることもあります。普段、飲み薬などは処方されていないため、つらいおなかの痛みにどのように対処したらよういかわからず、主治医に電話をしました。そのとき先生は電話に出られなかったのですが、折り返してくれて、「市販の解熱鎮痛剤は、SBMAの治療に差し支えないので我慢しないで飲んで良いですよ」と教えてくれました。こうした腹痛は、これまでに2回ほど起こりましたが、いずれも市販の鎮痛薬を飲んでやり過ごしました。そのほか、左肩甲骨の外側に痛みを感じることがありますが、これは、持病の狭心症による痛みなのか、リュープロレリン酢酸塩の副作用なのか、はっきりしていません。このことも主治医には伝えています。
副作用がつらそうですね。治療を受けている中で、今最も感じていることは何ですか?
そうですね、主治医との関係も良好で、診察や注射のために、定期的に約1時間かけて大学病院に行くことは、つらいと感じないのですが、とにかく副作用がつらいです。そんな中で、同じ病気の人は、こうした治療に伴う副作用に対して、どのように対処しているのか?SBMAは体を動かすことが重要とされているけれども、他の人はどんな風に体を動かしているのか?そういった情報が欲しいと思うようになりました。
久岡さんご自身は、普段どのように体を動かされているのですか?
近所に市営の運動公園があり、そこで散歩をしています。広い公園で、陸上競技場や屋外ステージの外周を通るコースを散歩すると、約2kmの距離になります。散歩を始めた頃には、300mくらい歩くと休まなくてはならず、延べ1km程度しか歩くことができませんでした。しかし、散歩を継続したことで、今では、約2kmのコースを、途中一度の休憩で歩くことができるようになりました。さらに最近、歩行距離を約2.7kmまで延ばすことに成功したんですよ。
散歩だけでなく、屋内で高さ13㎝程の踏み降昇降運動もしています。最近の異常気象で熱中症がこわいこともあって始めたんです。最初は、壁や柱に手を添えて昇降運動を行っていましたが、今では、手をどこにもつかずに10~20回できるまでになりました。
その他、これは運動ではないかも知れませんが、電気で筋肉に刺激を与えてトレーニング効果を得ると言われている、EMSを足に使っています。
こうしたことを続けている効果かわかりませんが、足に何となく力が入りかけてきたかな?という気がしており、これからも続けていこうと思っています。ひざも、今でもガクッとなりかけるときはありますが、気を付けて歩いていることもあり、転ぶことはまずなくなりました。パソコンのマウス操作は、その日の体調などによって大きく違います。妻も、「今日は調子よいみたいですね」「今日はあまり良くなさそうですね」と、気づいて言ってくれます。
新型コロナウイルス感染症の流行は、お仕事や日常生活、治療などに影響していますか?
病気の治療には、影響を感じていません。日常生活では、外出を控えています。地域では、去年まで自治会の役員をしていたのですが、総会に書面決議を取り入れるなど、高齢化した地域での感染予防に十分に気を使いました。仕事は、かれこれ40年くらい、中小企業が10社ほど集まった団体のお世話をしているのですが、新型コロナ対策について嫌がられるくらい注意喚起をしています。今のところ、私の周りには感染者は出ていません。
最後に、同じSBMAの当事者やご家族にメッセージをお願いいたします。
私は、主治医を信頼して何でも相談しています。本人や先生の事情にもよると思いますが、このことは私にとって、大切な解決策の一つです。とにかく自分に合った解決策を見出し実践することが大切だと思っています。
趣味の写真を通じ、写真家・土門拳氏の考え方に触れる機会がありました。それは、まず被写体を理解し、被写体と対話すること。するとやがて、被写体が自分を受け入れ、「私を撮影してもいいよ」と撮影許可をくれるので、それを待ってから撮影することが大切、という考え方でした。これはつまり、一方的でなく、お互いに対話をし、納得したうえで行動に移すことが大切、という意味なのだと思っており、私は仕事をするうえでの「教訓」として、これを今も実践しています。
SBMAと診断されてから、同じ病気の人がどのように過ごしているのか知りたい、ほかにもっと良い方法があれば教えて欲しい、と思うようになりました。そのためにはどうしたらよいか考えているうちに、「土門氏から得た教訓を踏まえ、まず自分から発信しなくては」、という考えに至りました。そして、今回、自身の病気の経過や、治療の悩みなどを皆さんに伝えさせて頂きました。
私は、自分の病気のことをもっともっと知りたいと思っています。SBMAは今のところ根本的な治療法なく、症状はゆっくりと進行し、後に車椅子生活になることが多いと言われています。しかし私は、できる限り自分の足で歩き続けていかれるように、頑張っていきたいと思っています。お互いに頑張りましょう!
50歳代で手の震えが起こり、70歳を過ぎてSBMAの確定診断を受けた久岡さん。進行を抑える薬によるつらい副作用に悩まされつつも、体を動かす努力を続け、歩行距離や踏み台回数は着々と増えています。しかしもっと効率的な方法はないか?ご自身で探索しつつも、他の人がどうしているのか知りたい!という気持ちが強く伝わってきました。
「他の人に教えてもらうために、まず自分から発信を。」そう考えた久岡さんは、今回、ご自身のSBMAについて語られたことに加え、ご自身のFacebookページも開設されました。このページで、病気のことや趣味のお写真を発信していこうとお考えとのことです。久岡さんへの激励メッセージ、運動の工夫など、お伝えしたいことがある方はもちろん、それ以外の方も、ぜひ覗いてみて頂ければと思います!(遺伝性疾患プラス編集部)