多発性嚢胞腎と生きるご家族~「息子と遠くにお出かけしたい!」を叶えました~

遺伝性疾患プラス編集部

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遺伝性疾患プラスはサイトオープン2周年を記念し、グループ会社であるエムスリー株式会社が展開する『CaNoW(カナウ)』と共に、3名の患者さん・ご家族の願いを無償で叶えるイベントを開催しています。2022年のテーマは、「願いを叶え、疾患啓発につなげる」。今回ご紹介するのは、多発性嚢胞腎とひとみさんご家族です。

※CaNoW(カナウ)は『病や障がいと共にある方』の願いを叶えるプロジェクトです。

多発性嚢胞腎(たはつせいのうほうじん)」は、両方の腎臓に嚢胞(のうほう:内部に分泌物が溜まった袋状の構造)が多発して、腎臓の機能が徐々に低下する遺伝性疾患です。進行すると腎不全(腎臓が十分に機能しない状態)となり、透析や腎移植による治療が必要となります。

ひとみさんのご家族は、ひとみさんのお母さま・ご祖母さまが多発性嚢胞腎の診断を受けており、ご自身も高校1年の時に多発性嚢胞腎の確定診断を受けました。その他のご家族では、2人の弟さんと、ご自身の娘さんも同じ多発性嚢胞腎と診断されています。ひとみさんは症状の進行により、2021年秋頃から透析の治療を受けています。ひとみさんのお母さまとご祖母さまは、透析を受けるようになって1年程で合併症により亡くなったそうです。ひとみさんは、体が以前より動きにくくなっていると感じており、「自分の体が動くうちに、息子と遠出して思い出をつくりたい」と考え、今回のイベントに応募しました。

この願いを叶えるために今回、ひとみさんと息子さんのひびきくんを自然豊かな八ヶ岳へお連れし、さまざまな体験をして頂きました。

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(キャプション)ひびきくんとひとみさん。八ヶ岳の大自然の中で。

大自然の中で思い出づくり

1日目、八ヶ岳に着くとまず、陶芸体験でお茶碗作りにチャレンジしました。ひとみさんは「力の加減などは難しかったけど、楽しめました」と、感想を話してくれました。形や色をご自身で選んで作られた、お茶碗。出来上がったものがお家に届くのが楽しみですね。

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お茶碗作りをするひとみさん、ひびきくん。

続いて体験したのは、やぎのお散歩。ひびきくんは「やぎは、なかなか思うように進んでくれなかった…」と、想像以上に大変だったことを教えてくれました。

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ひびきくん、やぎとも息がぴったり…?

やぎのお散歩が終わったところで、マシュマロ焼きを体験しました。「焼いたマシュマロは、初めて食べた」と、ひびきくん。自分で焼いたマシュマロは、美味しさも格別だったみたいですよ。

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マシュマロ焼き体験

高原の澄んだ空気のもとでぐっすり眠り、2日目。きれいな川へ行って、カヤック体験をしました。「カヤック自体、よく知らなかった」というひびきくんですが、初体験も何のその、上手に乗りこなしていました。「最初は少し怖かったけど、実際に乗ったらとても楽しかった!」そうです。ひとみさんもひびきくんと一緒に、楽しい時間を過ごすことができました。

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カヤックに乗るひとみさん、ひびきくん

ひとみさんと多発性嚢胞腎

ここからは、多発性嚢胞腎と共に生きて来たひとみさんに、これまでのご経験や今回のイベント参加への思いについて、お話を伺いました。

多発性嚢胞腎の診断に至った経緯について、教えてください。

高校1年生の時、おなかが痛くて病院を受診したことをきっかけに確定診断を受けました。当時、母も祖母も多発性嚢胞腎とわかっていたこともあり、自分も同じ多発性嚢胞腎だとわかりました。

多発性嚢胞腎に関わる情報はどのように集めていましたか?

私が診断を受けた当時は、今のようにインターネットで気軽に調べられるような状況ではなかったこともあり、病気のことを詳しくは調べられていなかったと思います。その頃は、まさか病気の症状が透析を受けるほど進むとは思っていませんでした。ただ、病気に対して不安な気持ちはありました。例えば、「結婚や妊娠への影響は、どうなんだろう?」といったことですね。不安な気持ちから、同じ病気を持つ親に当たった時もありました。

大人になってからは、インターネットで調べるようになったり、SNSなどで当事者の方々とつながるようになったりして、徐々に詳しい情報を得るようになっていきました。

病気の症状が進んだと感じるようになったのは、いつ頃からですか?

32歳の頃、下の子を妊娠した時です。それまでかかりつけの産科医に診てもらっていたのですが、途中で、専門医に変更となりました。理由は、「腎機能も含めて、専門医に診てもらったほうがいい」とのことでした。その時に、「あ、私の腎臓は悪くなっているんだな」と感じましたね。そして、腎臓の状態を考慮し、子どもは予定より2か月ほど早く出産することになりました。

その後、子どもが3歳になった頃に、腎臓の嚢胞が増大する速度を抑える効果がある薬での治療を受けることになりました。この薬は、腎機能が低下してやがて腎不全になり、透析を受けるようになる、その時までの期間を延ばすことが期待される薬なので、「私は、この薬が適応になるほど症状が進んでいるんだな」と実感しました。

同じ多発性嚢胞腎だった祖母と母は、透析の治療を受けるようになって1年程で合併症により亡くなっています。私も2021年秋頃から透析の治療を受けており、自分の体が動くうちに、息子のひびきと遠出して思い出をつくりたいと考えました。ちょうどそのタイミングで今回のイベントを知り、応募させて頂きました。

息子さんの心強い姿を見て、前向きな気持ちへ

願いを実現する「前」と実現した「今」で、お気持ちの変化はありましたか?

今回のイベントに参加して、「私も、まだまだやれるかな」と少し前向きに考えることができました。それは、イベントの中でひびきが私の車いすを押してくれたり、荷物を持ってくれたり、さまざまな場面で手伝ってくれたことが大きかったと思います。

以前の私は、遠くに出かけることを最初から諦めていたように感じます。体調が悪くなってきたことを感じていて、また、透析治療が始まったことも影響していたと思います。だけど、ひびきが一緒にいてくれることがとても心強いと感じましたし、一緒にもっと出かけてみたいと思いました。まずは、県内の場所から少しずつ、ひびきの行きたい場所へ一緒にお出かけしてみようと思います。

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「ひびきが一緒にいてくれることが心強いと感じた」と、ひとみさん
多発性嚢胞腎について、社会に「知って欲しい」ことはありますか?

きっとこの病気は、「名前も知らなかった」という方が多いのではないでしょうか。身近に当事者がいないと、なかなか知ることができない病気かなと思います。そのため、この記事をきっかけに「多発性嚢胞腎という病気もあるんだ」と、知ってもらえたらうれしいですね。

多発性嚢胞腎は徐々に症状が進行していく病気で、進行に伴い、嚢胞が大きくなることで外見にも変化が現れます。腹部が大きくなる影響で、自分も妊婦と間違えられた経験があります。性別問わず、当事者は進行に伴い、服の選択肢が狭くなり悩むでしょう。だから、もし身近に多発性嚢胞腎の当事者がいる方は、こういったことで当事者が悩んでいることを知ってもらえたらうれしいです。

誰も悪くない。もっと、家族で病気について話す機会を

最後に、遺伝性疾患プラスの読者にメッセージをお願いいたします。

私は、自分が多発性嚢胞腎と診断されるまで、「遺伝性疾患」というもの自体よく知りませんでした。そのため、まさか、自分が当事者になるとは思っていなかったです。一方、診断を受けて「やっぱり、家族なんだな」と妙に納得した部分もありました。自分の場合は、母や祖母など、家族の中で同じ多発性嚢胞腎の当事者がいたからです。

遺伝性疾患の中には、病気の原因となる遺伝子が子どもに受け継がれる可能性があるものあります。それによって、心を痛めている方もいらっしゃることでしょう。だけど、病気になることに関しては、決して誰も悪くないのだと私は思います。病気であるとわかった時に大切なことは、正しい情報を集めることだと考えています。私の病気の治療は、今のところ症状の進行を遅らせることしかできませんが、特に、治療に関わる最新情報を集めることが大切だと感じています。今はSNSなどを通じて、当事者やご家族とつながることができる時代です。そういったつながりの中でも、病気に関わる情報共有をしていけたらと思います。

また、ご家族の中に同じ遺伝性疾患を持っている人がいるという方は、ぜひ、病気について家族で話す機会を持ってほしいなと思います。私は、「母が生きている時に、もっと病気のことを一緒に話していればよかった」と、感じています。母の病気の症状が進み、きっと一番大変だっただろうという時に、私はすでに結婚しており、母と一緒に暮らしていませんでした。そして、まだ自分の症状が今ほど進行してなかったこともあり、自ら進んで母と病気の話をする機会を持てませんでした。もし、母が生きていた時に戻ることができたら、「今、どんなところが大変?」「一番困っているのはどんなこと?」など、もっと母の話を聞きたかったです。だから、もし、今話せる状態にある方がこの記事を読んでくださっていたら、病気のことを、もっと家族で話してもらえたらと思います。


今回のお出かけをきっかけに、息子さんの心強い姿を改めて認識されたというひとみさん。「まだまだやれるかな」と、笑顔で話してくださった姿が印象的でした。遺伝性疾患プラス編集部とCaNoWチーム一同、本当にうれしく思っています。

また、亡くなられたお母さまのお話の中では、「もっと、病気のことを一緒に話していればよかった」という言葉が心に残りました。病気に関わること、特に遺伝性疾患については、ご家族であってもなかなか話しづらいという声をうかがいます。話す内容やタイミングについては、ぜひ主治医の先生や認定遺伝カウンセラー(R)など医療者へ相談してみてください。また、あわせて、ひとみさんのお話も思い出して頂けたらと思います。(遺伝性疾患プラス編集部)

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