どのような病気?
遺伝性乳がん卵巣がんは、遺伝的にがんになりやすい体質の1つで、英語名「Hereditary Breast and Ovarian Cancer」の頭文字を取ってHBOC(エイチビーオーシーまたはエイチボック)とも呼ばれます(以下、HBOCと言います)。HBOCでは、乳がんや卵巣がんなどのがんを発症しやすいほか、50歳より前の若い年齢でがんを発症しやすい、乳がんが両方の乳房にできやすい、などの特徴があります。ただし、HBOCでも必ずがんを発症するというわけではなく、生涯発症しない人もいます。
がんが発症する要因は、大きく「遺伝要因」と「環境要因」に分けられます。
- 遺伝要因:その人が生まれつき持っている遺伝子の特徴(変化)のこと
- 環境要因:年齢、紫外線、喫煙、飲酒、感染症など、生まれた後の環境や生活によって変化する要因のこと
多くのがんは、環境要因の影響を大きく受けて、体の特定の組織で後天的に遺伝子の変化(体細胞変異)が起こることがきっかけで発生します。これに対し、遺伝性のがんでは、生まれつき体の全ての細胞に、がんになりやすい遺伝子の変化(生殖細胞系列の変異)が存在します。これがきっかけとなり、生涯にわたってがんを発症するリスクが高まります。遺伝性のがんは、発症に関わる遺伝子によって、なりやすい部位や多く発症する年齢、頻度などの異なるものが何種類か見つかっています。
HBOCの遺伝要因は、BRCA1遺伝子および/またはBRCA2遺伝子に存在します(BRCAはビーアールシーエー、ブラカ、ブラッカなどと呼ばれます)。HBOCの人では、これらの遺伝子に、がんの発症につながりやすい特徴(=病的バリアント)があることで、乳がんと卵巣がんだけでなく、膵臓がん、前立腺がんなどを発症するリスクが高くなることがわかっています。
各がんの発症リスク(米国国立がん研究所の情報より)
女性の乳がん: 一般的な女性の乳がん発症リスクは約13%ですが、BRCA1またはBRCA2に病的バリアントを持つ女性の60%以上が生涯のうちに乳がんを発症する可能性があるとされています。また、最初に乳がんの診断を受けてから20年以内に反対側にも乳がんを発症する可能性は、一般的な女性では約8%ですが、BRCA1/2の病的バリアントを持つ場合、それぞれ約30~40%/約25%とされています。
男性乳がん:一般的な男性が70歳までに乳がんを発症するリスクは約1%ですが、BRCA1に病的バリアントを持つ男性の約0.2~1.2%、BRCA2に病的バリアントを持つ男性の約1.8~7.1%が70歳までに乳がんを発症する可能性があるとされています。BRCA1/2に病的バリアントを有する男性は大変少ないため、反対側にも乳がんを発症するリスクについては推定されていません。
卵巣がん: 一般的な女性が生涯に卵巣がんを発症するリスクは約1%ですが、BRCA1に病的バリアントを持つ女性の39~58%、BRCA2に病的バリアントを持つ女性の13~29%が生涯のうちに卵巣がん(卵管がん、腹膜がんを含む)を発症する可能性があるとされています。
膵臓がん: 一般的にすい臓がんを生涯のうちに発症するリスクは約7%ですが、BRCA1に病的バリアントを持つ人の最大5%、BRCA2に病的バリアントを持つ人の約5~10%が、生涯のうちに膵臓がんを発症する可能性があるとされています。
前立腺がん: 一般的な男性が80歳までに前立腺がんを発症するリスクは約6%ですが、BRCA1の病的バリアントを持つ男性の約7~26%、BRCA2の病的バリアントを持つ男性の約19~61%が、80歳までに前立腺がんを発症する可能性があるとされています。
その他のがん: BRCA遺伝子の病的バリアントが皮膚や目の悪性黒色腫や、子宮体部漿液性腺がんと呼ばれるまれな子宮内膜がんのリスク上昇と関連する可能性が示唆されていますが、まだはっきりとした結論は出ていません。
上記は、米国や欧米のデータに基づいていますが、リスクは国や地域で異なるとされています。また、日本は欧米よりそれぞれの一般リスクはやや低めとなっています。
さらに2022年、理化学研究所は日本人を対象とした研究で、BRCA1/2の病的バリアントが乳がん、卵巣がん、前立腺がん、膵がんだけでなく、胃がん、食道がん、胆道がんの発症リスク上昇とも関連することを報告しました。
HBOCでは、上記のように、一般集団に比べていくつかのがんの発症率が高いことに加え、特に乳がんでは、50歳より前の若い年齢で発症する人も多いことが特徴です。その他、HBOCの乳がんでは、トリプルネガティブと呼ばれるタイプの乳がん(エストロゲン受容体、プロゲステロン受容体、HER2タンパク質の3つの過剰発現がいずれも認められないタイプ)が多いことがわかっています。
一般に、HBOCに該当する(BRCA1遺伝子および/またはBRCA2遺伝子に病的バリアントを持つ)人は、約400人に1人(0.2~0.3%)と推定されています。世界的には、アシュケナージ系ユダヤ人では頻度が高く、約2%がHBOCであるとされています。頻度だけではなく、人種、民族、地理的な集団によって、BRCA1/2の病的バリアントの特徴(遺伝子のどこにどのような変化があるか)も異なる場合があると知られています。
何の遺伝子が原因となるの?
HBOCの原因として、BRCA1遺伝子とBRCA2遺伝子の病的バリアントが挙げられます。
BRCA1遺伝子およびBRCA2遺伝子は、細胞が急速・無秩序に増殖・分裂するのを防ぐために働く「がん抑制遺伝子」の仲間で、それぞれBRCA1/BRCA2タンパク質の設計図となる遺伝子です。BRCA1遺伝子は17番染色体の17q21.31という位置に、BRCA2遺伝子は13番染色体の13q13.1という位置に存在します。
BRCA1タンパク質とBRCA2タンパク質はともに、「損傷したDNAの修復」に関わっています。細胞の核にあり、遺伝情報を構成する物質であるDNAは、細胞分裂の準備段階で切断される過程を経ます。また、DNAは、日光などによる自然放射線や、検査時の医療放射線、その他の環境によって一部が切断される場合があります。BRCA1/BRCA2タンパク質は、DNAの切れた部分を、他のいくつかのタンパク質と一緒に修復する役割を担っています。この役割は、細胞が遺伝情報を安定に維持するうえでとても重要です。
BRCA1遺伝子/BRCA2遺伝子に病的バリアントがあり、作られるタンパク質が正しく機能しなかったり、作られなくなったりすると、DNAの修復が正しく行われず、他の遺伝子も変化しやすくなり、がんになりやすい体質となります。


BRCA1遺伝子/BRCA2遺伝子以外にも、乳がんや卵巣がんになりやすい体質に関わる遺伝子はいくつか見つかっていますが、今のところ、HBOCの原因遺伝子と定義されているのはこの2つの遺伝子です。
BRCA1遺伝子/BRCA2遺伝子の病的バリアントはともに、常染色体優性(顕性)遺伝形式で、親から子へ遺伝します。両親のどちらかがBRCA1遺伝子またはBRCA2遺伝子に病的バリアントをもっている(HBOCである)場合、子どもが病的バリアントを受け継ぎ、HBOCとなる確率は50%です。
また、後天的にBRCA1遺伝子/BRCA2遺伝子に関連した変異が体細胞に起こり、HBOCに類似した性質のがんが発症する場合があり、これはBRCAnessやBRCA-likeと呼ばれます。がんの部分ではHBOCと同じ仕組みが起こっているため、同じ分子標的薬での治療効果が期待されますが、遺伝するがんではありません。
どのように診断されるの?
HBOCの可能性を考えるための条件
遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)の可能性は、以下のような、複数決められている特定の条件のどれかが当てはまる場合に考慮されます。
(例)
- 乳がん、卵巣がん、膵臓がん、前立腺がんなど、HBOCと関連するがんを自身が発症している
- ご家族に、HBOCと関連するがんに罹患した人が複数いる
- BRCA1/BRCA2遺伝子に病的バリアントを持つと検査を受けてわかっている3親等以内の血縁者がいる
など
詳しい条件については、一般社団法人 日本遺伝性乳癌卵巣癌総合診療制度機構(JOHBOC)がウェブサイトで公開している一般向け資料などで確認できます。
遺伝学的検査と遺伝カウンセリング
HBOCの可能性が考慮された人、もしくはがんを発症していなくても心配な人は、遺伝カウンセリングを受けて、遺伝学的検査を受けることが適切かどうかを確認していきます。HBOCの原因となるBRCA1/BRCA2遺伝子を調べる遺伝学的検査は、次のように専門的な知識や準備が必要となります。
遺伝カウンセリング: 検査を受ける前に、遺伝の仕組みや検査が持つ意味、結果がご家族に与える影響などについて、認定遺伝専門医や認定遺伝カウンセラーなどの専門家から詳しい説明を受け、理解します。これにより、検査を受けるかどうかを、ご自身の意思で決めていきます。遺伝カウンセリングの後、希望者は遺伝子を調べるために採血を受けます。
結果の開示: 検査結果が出たら、再度遺伝カウンセリングを通じて結果の説明を受けます。そして、今後のご自身の健康管理や治療方針について相談を進めます。
詳しくは、かかりつけ医や病院の遺伝診療科等にご相談ください。
VUS(臨床的な意義不明なバリアント)について
HBOCの可能性を調べる遺伝学的検査は、BRCA1とBRCA2という大きな遺伝子を対象に行われます。これらの遺伝子には、がんの発症につながりやすい「病的バリアント」が数多く存在するため、家系の中で最初に検査を受ける場合は、遺伝子全体を詳細に調べることになります。一方、最初に検査を受けた人に病的バリアントが見つかりHBOCと確定している場合、そのご家族の検査は、基本的に同じバリアントがあるかどうかを特定の場所だけを調べて確認します。
検査結果は、以下の3つに大きく分けられます。
- 病的バリアント陽性: HBOCと確定診断されます。
- 病的バリアント陰性: 現在の検査方法では、病的バリアントは見つからなかったことを意味します。しかし、遺伝性のがんの可能性を完全に否定するものではないため、今後の健康管理について医師と相談することが大切です。
- 臨床的な意義不明なバリアント(Variant of Uncertain Significance 、VUS): 遺伝子の変化は見つかったものの、現時点ではそれががんの発症しやすさに関連するかどうかが不明なものです。VUSが見つかった場合も、今後の健康管理について医師と話し合う必要があります。VUSは、将来的に研究が進むことで、病的バリアントなのか、そうでないのかが明らかになる可能性があります。
遺伝学的検査の保険適用について
BRCA1遺伝子/BRCA2遺伝子における遺伝学的検査は、以下のいずれかに当てはまる場合、保険適用となります。(2025年8月時点)
乳がんと診断された人
45歳以下で診断された場合
60歳以下でトリプルネガティブ乳がんと診断された場合
両側の乳がんと診断された場合
左右どちらかの乳房に、複数の原発性乳がんを診断された場合
男性で乳がんと診断された場合
特定の治療薬(分子標的薬オラパリブ)の効果を事前に調べる場合(コンパニオン診断)
卵巣がん、卵管がん、または腹膜がんと診断された人
膵臓がんまたは前立腺がんと診断され、特定の治療薬(分子標的薬オラパリブ)の適応となる場合
家族歴がある人
乳がんと診断され、3親等以内に乳がん、卵巣がん、膵臓がんのいずれかの診断を受けた人がいる場合
上記に当てはまらない場合でも、ご自身の既往歴や家族歴からHBOCの可能性が考えられるとして、医師と相談のうえ、自費診療で遺伝学的検査を受ける場合もあります。
予防的切除術について
HBOCと診断された方で、すでに乳がんまたは卵巣がんに罹患している方に対するリスク低減乳房切除術やリスク低減卵管卵巣摘出術は、2020年4月から保険適用となりました。
遺伝子の検査は、結果の解釈など、とても専門的な検査です。わからないことや心配なこと、検査を受けるタイミングなどを含め、検査を受ける前から、遺伝カウンセリングなどを通じて医療者とよく話し合いましょう。
どのような治療が行われるの?
それぞれのがんについては、一般的な治療が行われます。
一般的ながん治療に加え、BRCA1遺伝子やBRCA2遺伝子に病的バリアントを持っていることが、治療方法に関わってくる場合があります。例えば、分子標的薬であるオラパリブは、RCA1遺伝子/BRCA2遺伝子に病的バリアントを持つがんに有効な治療薬として承認されています。ただ、適応となるがんの種類や条件などがあるので、治療方針については主治医と相談しましょう。
自身がHBOCとわかった場合、がんの早期発見と発症リスクの低減を目的としたさまざまな予防策が検討されます。
リスク低減のための手術(予防的切除)
乳がんの予防: リスク低減乳房切除術は、乳がんのリスクを大幅に下げることが期待できます。リスク評価の結果をもとに、このような予防的手術が選択肢の一つとして提示される場合があります。
卵巣がんの予防: 出産を終えた女性には、リスク低減卵管卵巣摘出術が検討されます。この手術は、卵巣がんのリスクを下げる上で最も効果的な方法の一つとされています。
定期的な検査(サーベイランス)
女性の乳がん: がんの発見のため、18歳頃から自己検診を始め、25歳以降は医療機関での視触診や、乳房造影MRI検査を定期的に受けることが重要となります。
男性の乳がん: 乳房の異常(しこりなど)に気づけるよう、自己検診の知識を身につけることが勧められます。
前立腺がん: 40歳からPSA検査によるスクリーニングが考慮されます。
膵臓がん: 家族歴がある場合、MRIや超音波内視鏡による検査が検討されます。
これらの予防的な対策は、がんを根治可能な段階で発見するために重要となります。
どこで検査や治療が受けられるの?
日本全国の「遺伝性腫瘍専門医」とその所属医療機関は、一般社団法人日本遺伝性腫瘍学会ウェブサイトの「遺伝性腫瘍専門医一覧」からご確認頂けます。
患者会について
遺伝性乳がん卵巣がん症候群の当事者会で、ホームページを公開しているところは、以下です。
参考サイト
- 日本産婦人科医会 遺伝性乳癌卵巣癌症候群(HBOC)の特徴
- がん研有明病院 臨床遺伝医療部
- 岡山大学 学術研究院 医歯薬学域 臨床遺伝子医療学分野 遺伝性乳がん卵巣がん
- 四国がんセンター遺伝性乳がん卵巣がん
- 理化学研究所 プレスリリース
- MedlinePlus
- NIH National Cancer Institute BRCA Gene Changes: Cancer Risk and Genetic Testing
- Online Mendelian Inheritance in Man(R) (OMIM(R))
- 遺伝性疾患プラス「遺伝性疾患とわかった時、病気のことを誰に伝える?何のために伝える?どう伝える?」
- 遺伝性疾患プラス 「家族歴」を知ることはなぜ重要なのですか?


