ムコ多糖症の診断まで約30年、高校教員の当事者が考える「病気」と「仕事」への向き合い方

遺伝性疾患プラス編集部

Cocoさん(女性/34歳/ムコ多糖症Ⅵ(6)型患者さん)

Cocoさん(女性/34歳/ムコ多糖症Ⅵ(6)型患者さん)

2019年、31歳の頃に確定診断。高校の英語教員として働いている。

4歳頃から低身長、10歳頃から骨の変形による外反膝(X脚)などの症状が現れていた。病院を受診していたが、当時は診断にはつながらなかった。

 

Twitter:https://twitter.com/coco63wisteria

Blog:https://ameblo.jp/coco1988wisteria/

生まれつき「ムコ多糖」という物質を分解する酵素が足りないために、全身の細胞にムコ多糖が蓄積するムコ多糖症(ライソゾーム病の一種)。足りない酵素の違いにより、いくつかの病型に分類されます。それぞれの病型によって症状は異なり、また同じ病型でも患者さんによって症状はさまざまです。

今回お話を伺ったのは、31歳の頃にムコ多糖症Ⅵ(6)型と診断を受けた、Cocoさんです。ムコ多糖症Ⅵ型は「マロトー・ラミー症候群」とも呼ばれ、乳幼児期より成長障害、角膜混濁(こんだく)、骨の変形、心臓弁膜症などさまざまな症状が現れます。Cocoさんも幼少の頃から病院を受診していたそうですが、確定診断にはつながりませんでした。その後、英語の高校教員として働き始め、ダンス部の顧問になったことをきっかけにご自身の病気へたどり着くことに。今回は、Cocoさんが診断に至った経緯、診断後の通院に際して変わった働き方など、お話を伺いました。

コンタクトレンズづくりで偶然知った「ムコ多糖症」、自ら病院に連絡して診断へ

最初、病院を受診したのはどのような症状がきっかけでしたか?

10歳の頃、低身長(当時:110センチメートルほど)を理由に病院を受診しました。振り返ると、4歳頃から低身長の症状が現れていたようです。近くの市立病院で成長ホルモンの分泌を調べる検査を受けた結果、問題がないと説明を受けました。その後、高校2年生の頃には心臓弁膜症と診断され、骨や心臓の経過観察のために20歳頃まで大学病院に通いました。

検査を受けた10歳の頃、親は市立病院の医師に「20歳までは生きられないかもしれません」と説明を受けたそうです。その話を聞いた時は「ただ身長が低いだけで、今は元気だから」と、あまり気にしていませんでした。だけど、中学生、高校生と少しずつ大人になっていく中で、その言葉が自分の中で引っかかるようになりました。これから、大学受験、就職活動など大事なイベントがたくさんあるのに「もし、長く生きられなかったらどうしよう」と。そこから、無事に20歳の誕生日を迎えた後も「何かあるかもしれない」という不安は常にありました。

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医師の「20歳までは生きられないかもしれません」という言葉が、引っかかるように。(写真はイメージ)
ムコ多糖症Ⅵ型の診断に至った経緯について、教えてください。

英語の高校教員として働き始め、ダンス部の顧問になったことがきっかけでした。顧問として自分も体を動かす機会が増えたため、コンタクトレンズを作るために眼科を受診したんです。しかし、遠視と乱視の影響からコンタクトレンズをつくれないと説明を受け続けました。4件目に訪れた眼科で、ある眼科医の先生をご紹介いただきました。その先生に診てもらった際に、「ムコ多糖症と言われたことはありませんか?」と確認されたんです。先生が以前診たムコ多糖症患者さんの目に似ているようだ、とのことでした。そこでは、可能性程度の話で終わりました。

眼科からの帰り、インターネットでムコ多糖症のことを調べました。初めて聞いた病名でしたが、調べれば調べるほど、自分に現れている症状がほとんど当てはまっていると感じたのです。電車を降りてすぐに、ムコ多糖症を診ている先生がいる大きな病院へ電話をしました。

紹介状がない状況で、まず病院へお電話されたということでしょうか?

そうです。その時は「紹介状」ということも考えられないほど、無我夢中で。「ようやく、何かわかるかもしれない」とい思い、必死に電話していました。ただ、「先生に診て欲しい」という理由がうまく伝わらず、最初電話対応をしてくださった受付の方に断られそうになって…。それでも、何度もお願いしていると、幸いにもその先生が電話に出てくださったんです。そして、後日先生に診てもらえることになり、ムコ多糖症Ⅵ型の確定診断に至ったというわけです。私は、31歳になっていました。

「自分が悪い」と悩んできたことは、病気によるものだった

診断を受けた時、どのようなお気持ちでしたか?

まるで、目の前の霧が晴れたような気分でした。今までずっと悩んできた「他人とは違うこと」が、病気によるものだとわかったからです。これまで、病気の症状を理由に、心無い言葉をかけられたこともありましたし、嫌な思いをしたことも多くありました。だけど、当時は何の病気かわからなかったことで「自分が悪い」と思うしかなかったんです。病気がわかったことで、自分を責めてきた考え方から解放されたようでした。

一方、診断によって「進行する病気」だと明らかになり、複雑な思いもありました。だけど、診断がついたからこそ、正しい治療が受けられるようになったのは良かったと感じています。そうして迎えた、初めて酵素補充療法の治療を受けた日は、たまたま自分の誕生日でした。「今日から、私は新しく生まれ変わるんだ」と思い治療を受けたことを、今でも覚えています。

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「新しく生まれ変わるんだ」と思い、初めての酵素補充療法を受けたCocoさん。
診断を受けた時、ご家族とはどのようなお話をしましたか?

病気の説明は一人で聞いたため、親には自分から説明しました。ただ、なかなかすぐに全てを理解してもらうことは難しかったです。親や自分が悪くて病気になったのではなく、遺伝子の変化で偶然生じたものだということは伝えました。

病気が明らかになったことで、親と言い合いになったこともありました。「地元の大学病院でわからなかった時、なんで東京の大学病院に連れて行ってくれなかったの?」と、思ったからです。しかし、今では仕方ないことだったと考えています。私の地元は大きな病院がそもそも少ない場所なので、大学病院は非常に信頼されています。その大学病院で「わからない」となれば、親がそれ以上詮索できなかったというのも、今では理解できます。ただ、もし「地元の大学病院の先生が『わからない』で終わらせずに東京などの病院を紹介してくれたら?」「もっと早くに診断がついて、治療を受けられていたら?」と、考えることもあります。

病気を理由にいじめに遭った幼少期、教員を目指すきっかけに

教員を志した理由について、教えてください。

中学生の頃、病気による症状を理由にいじめに遭ったことと、それに対する教師の対応がきっかけでした。自分が教員となって、いじめを受ける側の心のケアをしたいと考えました。

また、生徒に「勉強は楽しい」と思ってもらいたいと考えたことも理由の1つです。高校の恩師のわかりやすい指導のおかげで勉強が得意になり、コンプレックスがあっても得意なことがあれば自信を持って学校生活を送れると実感しました。全ての子どもたちが平和に学校生活を送れるようにサポートしたいと思い、教員を目指しました。

いじめに遭った当時のことを、教えていただけますか?

いじめのきっかけは、症状として現れていた「低身長」などだったようです。「ちっちぇえな」「キモい」などといった心無い言葉をかけられ、その他にもさまざまな出来事がありました。担任の先生にも相談しましたが、あまり話を聞いてもらえず、状況は何も変わりませんでした。

そして、ある日、決定的な出来事が起こりました。家庭科の授業で、裁縫をしていた時です。私は、他の生徒よりも作業が遅い状況でした。ムコ多糖症による、強度の遠視と手の関節拘縮(こうしゅく)が現れており、裁縫のような細かい作業がスムーズにできない状態だったのです。その様子を見かねた教員から、クラス全員の前で「こんなこともできないのか」と笑われました。この出来事をきっかけに、私は自殺未遂をするほど追い詰められていきました。

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家庭科の授業での出来事をきっかけに、追い詰められていった。(写真はイメージ)

当時は、どん底のような状態でした。だけど、そこから立ち直ることができたのは友人や親のおかげです。そして、この経験は「絶対に、教員になる」という強い覚悟につながり、猛勉強の末に、大学受験では難関の国公立大学に合格しました。大学入学後は友だちにも恵まれ、楽しい学校生活を送りました。今思い出してもつらい経験ですが、当時の自分が諦めなかったからこそ、夢を叶えた今の自分がいるのだと思います。

英語の教員を目指したのは、なぜですか?

英語の可能性を感じていたことと、病気によるハンディキャップを感じる場面があまりないと考えたことが主な理由です。

実は、「理科」を選択することを考えた時期もありました。ただ、理科だと実験の授業などで道具を使う場面があります。例えば顕微鏡を用いる時、多くの場合、自分は踏み台に乗らないと観察できません。このように苦労することが想像できたので、「理科」の選択は諦めました。

職場の方々には、病気の情報を絞って伝える

ご自身の病気について、職場の方々にはどのように説明をしていますか?

管理職の上司には、病名を含めて全てを伝えています。それ以外の方々には、病名を伏せて症状を中心に伝えています。具体的には、進行性の難病であること、週1回3時間の点滴による治療が一生必要であること、新型コロナウイルスに感染した場合に重症化の恐れがあることを伝えています。その他必要があれば、目が見えにくい、手が動かしにくい、腰や首が痛くなりやすいといった症状、心臓弁膜症を持つことなども説明します。

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多くの先生方には、病名を伏せて症状を伝えている。(写真はイメージ)
管理職の上司以外の方々に、病名を伏せているのはなぜですか?

病気のことを正しく理解されないことで、誤解されないためです。インターネットで「ムコ多糖症」と検索すると、すぐ、病気の説明が載っているウェブサイトを見つけられるでしょう。この時、例えば、病気のタイプ(病型)によって症状が異なることを理解せずに「『知的な発達の遅れ』ってあるけど、Cocoさんも?」と、誤解される場合があるかもしれません。そもそも「ムコ多糖症」という病名を知っている方が少ない状況で、さらに、病型によって症状が異なることも理解していただくのは難しいと感じています。

理想は、ムコ多糖症Ⅵ型の研究が進んで、正しい情報を多くの方々に知っていただくことです。今は難しいかもしれないですが、今後、期待したいです。

通院治療のため、全日制から定時制高校の教員へシフト

酵素補充療法などで通院が必要な時は、どのようにお仕事を調整されていますか?

現在は、定時制高校の夜間部(勤務時間13:00~21:30)で働いているため、午前中に通院しています。通院の日は、1時間程度の遅刻で調整できるので、全日制高校で働いていた時よりも精神的に楽になりました。

定時制高校で働くことにしたのは、通院の事情が関係していますか?

そうですね。自分が早退した分の業務のしわ寄せが他の先生方にいき、申し訳ない気持ちでいっぱいになって…。結局、定時制高校で働くことを決意しました。当時の先生方はとても理解ある方々で、快く自分を病院へ行かせてくださいました。だけど、ただでさえ「教員の多忙化」が課題として挙げられる今、自分の通院のせいで先生方をさらに忙しくさせることが申し訳なくて仕方ありませんでした。

定時制高校で働くようになって、気持ちの変化はありましたか?

他の先生方への申し訳なさが無くなったことに加えて、自分にとってはより働きやすくなったと感じています。定時制高校の場合、生徒や教員も、何か事情をお持ちの方がいます。そのため、例えば生徒に「先生は、何で定時制高校にきたの?」と聞かれた場合でも、「治療のために、病院に通っているからだよ」とオープンに伝えられます。精神的に楽になり、より働きやすくなりました。

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定時制高校の教員となり、より働きやすくなった。(写真はイメージ)
病気を持つ教員に対して、どのような支援があると良いと感じていますか?

学校のバリアフリー化が必要だと思います。例えば、自分の場合は低身長などが症状として現れているため、上げ下げ可能な黒板、サイズ調節可能な机と椅子、小さな踏み台、エレベーターの設置が必要だと感じます。

ただ、教員は支援することが多く求められる仕事でもあると自分は考えています。もし、自分がもっと早く確定診断を受けていたら、教員以外の職業も考えたと思います。これは難しい問題でもありますが、今後、症状が進行し、今以上に支援が必要な状態になった時は教員を辞めることも考えています。ですので、大前提として必要なことは、どんな希少難病であっても就労前に確定診断がつく環境です。簡単でないことは理解していますが、当事者が進路選択の際にもっと自身の病気のこと考慮できるようになる社会になってもらえたら、うれしいです。

未診断疾患の方へ、自分から行動することを諦めないで

最後に、遺伝性疾患プラスの読者にメッセージをお願いいたします。

まず、今も診断がつかずにおられる未診断疾患の当事者には、自分から行動することを諦めないでほしいとお伝えしたいです。そして、疑問に思ったことは積極的に医師に質問してください。自分もそうだったのですが、積極的にさまざまな医師に診てもらい、話を聞いて…というのは簡単なことではありません。自分は「もう駄目かもしれない」と思ったこともありました。だけど、眼科の医師の一言をきっかけに、あの時、自分から大きな病院に連絡して良かったと思っています。もし、ご自身の病気が進行性の場合、診断がつかず正しい治療を受けられないことで、症状が進行し続けるかもしれません。だから、本当に大変だと思いますが、諦めないで欲しいです。

私は、SNSやブログでムコ多糖症Ⅵ型に関する情報を発信しています。今、ムコ多糖症Ⅵ型の方で診断がついていない方に、何かを届けられたらという思いから始めました。ムコ多糖症の中でも、Ⅵ型というタイプは珍しいので、当事者の方へも自分の経験が何かのヒントになったらうれしいです。

そして最後に、同じ遺伝性疾患の当事者の皆さん、これからも一緒にがんばりましょう。


幼少の頃から症状が現れていたものの、確定診断がついたのは31歳の時だったというCocoさん。病気の症状を理由にいじめに遭った経験があり、「もっと早く診断を受けられていたら、治療を受けられていたら…」という思いもあったと言います。診断後は、全日制から定時制高校の教員になり、通院治療と仕事の両立を探っています。

Twitterやブログで、ムコ多糖症に関わる情報を積極的に発信されているので、ぜひそちらもあわせてご覧いただければと思います。(遺伝性疾患プラス編集部)

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