ファブリー病の診断まで約20年、診断後の変化とこれから

遺伝性疾患プラス編集部

Aさん(女性/31歳/ファブリー病患者さん)

Aさん(女性/31歳/ファブリー病患者さん)

幼少の頃からさまざまな症状が現れていたものの、ファブリー病の確定診断を受けたのは29歳の頃。

現在は生活の質の向上を目指しながら、社会での自立を目指す。

将来は、同じように悩む当事者のサポートに関わりたいと考えている。

 

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ファブリー病は、α-ガラクトシダーゼA(GLA)という酵素をつくるもととなる遺伝子変異が生じて発症する、X連鎖性の遺伝形式をとる先天代謝異常症です。GLAが正常に働かないことから、不要な物質が分解されずに体にたまっていき、全身のさまざまな臓器・器官に症状が現れます。ファブリー病はライソゾーム病の一種で、ライソゾーム病は厚生労働省の定める指定難病小児慢性特定疾病の対象疾患です。

今回お話を伺ったAさんは、29歳の頃にファブリー病の確定診断を受けました。幼少の頃から全身のさまざまな症状により受診していたものの、確定診断に至るまで約20年の時間を要したと言います。それまでは症状の原因について「ストレス」「疲労」「体質」といった説明を受けてきたというAさん。ファブリー病とわかったことで、ようやく納得することができたそうです。今回は、Aさんのこれまでの経験や確定診断を受けたことによる変化などについて、詳しくお話を伺いました。

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Aさんご提供

腹痛・難聴・手足の痛みなど、ファブリー病の多様な症状と向き合ってきた

確定診断に至ったきっかけについて、教えてください。

29歳の頃、父の眼科の通院に付き添いをしていたことがきっかけで確定診断につながりました。眼科の先生から「ファブリー病の典型的所見(渦巻き状の角膜混濁)が見られる」と説明を受け、大学病院を紹介され、確定診断に至りました。

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眼科の通院に付き添いをしていたことがきっかけで確定診断へ(写真はイメージ)

小学生の頃から、強度近視であることや「網膜に薄いところがある」と説明を受けていたため、私自身、定期的に眼科を受診していました。さまざまな眼科を受診するたびに、角膜混濁について指摘されていましたが、「こういった所見は珍しい」「これまでに診たことがない」といった説明に留まっていたと記憶しています。ただ、経過観察中に「角膜混濁自体が、視力に影響を及ぼしていない。生まれつきのあざのようなものではないか」と説明を受け、それ自体が問題視されることはなくなっていきました。

確定診断を受けるまでに、どのような症状で受診していましたか?

幼少の頃から、消化器症状や運動・入浴時など体温が上昇する時に手足の痛みが現れていました。小学校5年生(11歳)の時、肺炎により高熱が出た際には、手足の激しい痛みが生じました。それよりも前から、ファブリー病に関わる症状が現れていたと記憶しています。確定診断を受けるまでに、最低でも18年ほどかかったということだと思います。

中学・高校生の頃は、頻繁に生じる消化器症状に悩まされていました。特に、食後は高頻度で胃痛、腹痛、下痢の症状が現れていました。その他、自宅を出る前にトイレにこもる時間が長かったり、電車での通学時に途中下車を繰り返すことが多かったりして、学校の授業に遅刻するほど影響が出ていました。そのため、かかりつけの小児科から大学病院を紹介され、当時は「主な原因がストレスとされる、過敏性腸症候群(IBS)」と診断を受けました。

また、聞こえにくさやめまいといった症状も現れていました。大学生の頃、めまいが生じたり、講義中に先生の声が聞き取りづらくなったりといった理由から、耳鼻科を受診。当時は「感音性難聴」との診断で治療を受けていたのですが、聴力が回復せず聴神経腫瘍が疑われました。しかし、頭部MRIでは腫瘍は見つからず、「ストレスや疲労による難聴」と診断を受けました。

その他にも、さまざまな症状と向き合ってきました。継続するひどい倦怠感に悩まされ、複数回、内科を受診しています。しかし、「血液検査では大きな異常はない」という説明で経過観察となりました。動悸が気になり循環器内科を受診した際には、ホルター心電図(長時間心電図)の検査により「不整脈」と診断されました。手の強張りにより整形外科を受診した際には、リウマチが疑われましたが検査結果は陰性。その後、耐えられないほど手足に痛みが生じることがあり、発熱時に再度相談したこともありました。しかし、その時は「体質的なものではないか」と説明を受けた記憶があります。

このように「ストレス」「疲労」「体質」だとされてきたさまざまな症状が、ファブリー病によるものだとわかったのです。

「ストレス耐性が低い」と自分を責めていたが、病気によるものとわかる

ファブリー病の説明は、ご家族と一緒に受けられましたか?

はい。最初、父の主治医の眼科の先生から「お話ししたいことがあるので、お母さんと一緒に受診できますか?」とお電話をいただきました。そこで、両親と一緒に「ファブリー病の可能性がある」「ファブリー病は遺伝性疾患である」といった説明を受けました。母も一緒に受診したのは、母に渦巻き状の角膜混濁の症状があるかを確認するためだったそうです。結果、母に症状は見られませんでした。父はもともと受診していたため、症状が見られないことはわかっていました。その後、紹介された大学病院での検査の結果、ファブリー病の確定診断を受けました。そのことを受けて両親も検査を受けましたが、2人とも結果は陰性でした。そのため、私は突然変異による発症(孤発例)だと説明を受けました。

確定診断を受けた時、どのようなお気持ちでしたか?

覚悟はできていたので、驚きはなかったです。しかし、やはり少しショックな気持ちがあり、家族には弱音を吐くことが多かったです。そのたびに、家族は「何でもサポートするよ」と言って、私を励まし続けてくれました。

また、さまざまな症状の原因は「ストレス」「疲労」「体質」と説明受けてきて、違和感を覚えていたため、確定診断により納得することができました。ようやく正しい病名がわかり、少しホッとしました。これまで、「自分はストレス耐性が低いのではないか」と、自分を責めていた部分もあったので。一方で、病気だとわかったことに対してショックな気持ちもあり、複雑な心境でした。

確定診断を受けて、ご夫婦でどのようなお話をされましたか?

具体的に主人とは、現時点では隔週で通院し、点滴による治療を一生続けていく必要があること(私の場合、経口薬が適応でなかったため)、毎月治療に伴う医療費がかかること、通院時の移動手段・付き添いのこと、子どものことについて話しました。

医療費については、ファブリー病以外の治療もあるため、治療費が上乗せになることに不安がありました。また、通院の付き添いが必要だったので、主人に仕事を休んでもらう必要がありました。私に歩行障害があることや、診断を受けた当時はコロナ禍だったので車移動を徹底していたためです。治療費に関してはクリアし、主人の会社の制度を活用することで通院の付き添いも可能となりました。現在は、電動車いすの申請などをし、付き添いなしで通院できるように準備を進めています。

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確定診断を受けて、ご夫婦で話し合いも(写真はイメージ)

その他、子どもにファブリー病の原因となる遺伝子が引き継がれる可能性があることや、体調が悪い状態で子育てができるのかといった不安についても話し合いました。診断を受けた当初、私は漠然とした不安を抱えて混乱していたように思います。しかし、主人と話していく中で不安を整理することができ、課題について話し合うことができました。今も、病気に関わる悩みや葛藤はなくなりません。しかし、家族や同じ病気の方と話すことで、少しずつ前向きな気持ちになっています。

診断後の変化、日常生活での工夫も

ファブリー病の診断をきっかけに、日常生活ではどのような変化がありましたか?

以前よりも、意識して予定の調整をするようになりました。例えば、大きなイベント(例:友人の結婚式)の前後は予定を詰め込み過ぎないようにするなどして、疲れ過ぎないように気を付けています。

また、周りに配慮してほしいことを伝えやすくなりました。ファブリー病と診断を受けたことで、自身の病状をより理解できたからだと思います。最近では、友人に真夏の屋外ライブに誘われた際、「暑さによって症状が悪化する可能性があるから、屋内ライブであれば行きたい」と伝えることができました。

その他、通院して治療を受けた日は、美味しいものを食べに行ったり、少し贅沢なスイーツをご褒美に買ったりしています。通院を負担に感じないよう、意識して楽しみを取り入れています。

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「通院を負担に感じないよう、意識して楽しみを取り入れている」と、Aさん(写真はイメージ)

当事者支援の課題を痛感、今後、支援に関わることも視野に

ファブリー病などの難病に対して、どのような支援が必要だと感じていますか?

病気と仕事の両立について、当事者支援が充実すると良いなと感じています。難病といっても、さまざまな症状や障がいがあると思います。自分のように症状に波がある場合や、外からは症状や障がいがわかりにくい場合などもあり、その人によって必要とする支援はさまざまです。そのため、当事者にあわせた仕事のしやすい環境の整備が理想だと感じています。一方で、これは企業側だけの問題ではなく、社会全体で環境を整備していくことが必要だとも考えます。

私は、以前の職場で、定期的な通院が必要であることを伝えた際に退職を勧められた経験があります。通院による治療が必要であることをお伝えしたものの、職場の受け入れ環境が当時は整っておらず、結果的に退職することになりました。当時は確定診断を受ける前だったので、ファブリー病による症状に対して別の疾患名で診断を受けており、対症療法のため通院が必要な状況でした。私自身、この出来事にとてもショックを受けたことを覚えています。もし、身体障害者手帳を取得していれば、障害者雇用の枠で就職できたかもしれませんし、通院しながら仕事を続けることもできたかもしれません。しかし、私の場合は、「身体障害者手帳の申請は難しい」と言われたことがあります。身体障害者手帳の障害認定は、治療から一定期間経過した後、障害が固定した後に行われます。当時、自分の場合は、症状に波があり固定化されていなかったため、申請が難しいという説明を受けました。また、別の難病の友人からは「就職活動時に会社側へ病気を伝えると採用されなかったけど、伝えなかったら採用された」という話を聞いたことがあります。病気を抱えていると、就職活動のハードルが上がるのだなと感じました。

もう一つは、難病の知識に加えて心のケアに関する知識を持つ方からの支援の必要性です。どちらか一方の知識を持つ方はおられても、両方の知識を持っておられる方を見つけることは難しいと感じています。私自身、病気を理由に困っていることや悩んでいることを相談する際に、医療と関わりのない方へ病気の説明するために多くの時間が割かれてしまうことをもどかしく思うことがあります。また、病気を理解されている医療従事者の方からの言葉に傷つくことがありました。もちろん、困っていることに対するアドバイスをいただき、助けられたこともたくさんあります。しかし、心無い言葉をかけられ傷ついてきたことも実際にあります。そのため、難病と心のケアに関する知識を両方持つ方へ相談する機会があると、当事者の負担が軽減されるのではないかと感じています。

今後、もしチャレンジしたいと思っていることがあれば、教えてください。

まずは、生活の質の向上を目指しながら、社会での自立を目指したいです。そして、将来的には、自身の経験をいかして、自分と同じように悩んでおられる当事者のサポートに関わりたいと考えています。私は、確定診断を受ける前から、さまざまな症状を理由に思うように動けず、たくさん悩んできました。その経験から大学では心理学を学び、卒業後はさらに福祉専門学校に進学して精神保健福祉士の資格を取得しています。私と同じような経験をされている当事者の気持ちに寄り添い、活用できる支援などを一緒に検討しながら、当事者が前向きになれるようにお手伝いしていきたいです。

「病気を受け入れられない自分」も否定しないで

最後に、遺伝性疾患プラスの読者にメッセージをお願いいたします。

ご自身の病気が明らかになり、戸惑われている方も多くいらっしゃると思います。私自身、なかなか病気を受け入れることができない時期がありました。今も、全てを受け入れられたわけではありません。でも、それで良いと考えています。どんな時も、ありのままの自分の気持ちを否定せず、受け入れてあげて欲しいなと思います。誰よりも、自分が自分自身の味方でいられたらと考えています。

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Aさんご提供

また、遺伝性疾患は長く付き合っていくことが求められるので、ご家族や友人だけでなく、信頼できる主治医や看護師、認定遺伝カウンセラー(R)などの医療従事者との出会いも大事だと思います。もし、ご自身の病気について疑問や不安があれば、ためらわずに医療従事者とコミュニケーションをとってみてください。当事者自身が、積極的に治療に参加していく姿勢も大事だと痛感しています。一方で、主治医との相性の問題に悩まれている方もいると思います。もし、難しいと感じられた場合は、新たに医療施設を探すことも選択肢の一つだと思います。

最後に、医学は日々進歩しています。今、治療法がない疾患であっても未来は変わっているかもしれません。悲観する時もあるかもしれませんが、研究開発を含め、将来に希望を持ち続けたいと思います。


幼少の頃からさまざまな症状と向き合い、原因不明の未診断疾患の時期も20年ほど経験されたAさん。大学で心理学を学び、卒業後はさらに精神保健福祉士の資格を取得された背景には「同じような経験をされている当事者の気持ちに寄り添い、お手伝いしていきたい」という強い思いがありました。また、「なかなか病気を受け入れることができない気持ちを否定しないでほしい」というお話が、印象的でした。もし同じように悩まれている当事者の方がいらっしゃったら、ぜひAさんの言葉を思い出していただけたらうれしいです。(遺伝性疾患プラス編集部)

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